保育園に教育の恩恵を、幼稚園に福祉の恩恵を。

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  2017.12.01  
  ランチタイムLettre12月  
 

 今年もあとひと月になってしまいました。一年の経つのが年々早く感じるのは歳のせいかしら?なんて思っております。今年も色々なことがありましたね。それでも、元気に過ごせたことを幸せに感じます。きっと子ども達のパワーをいただいているからでしょう。感謝、感謝!ですね。

 さて、先日の発表会では皆様方の温かなご声援とご協力の中、素晴らしいひと時を過ごさせていただきました。子ども達は皆様方に「喜んでいただきたい」、「褒めいていただきたい」と、一生懸命な姿で精一杯の表現を見せてくれておりました。

 私が現役の保育者(クラスを担任していた頃)は、なんとか無事にみんながやり遂げる事だけを張り詰めた気持ちで見守っていたのですが、担任でなくゆっくりと見守れる立場となったこの頃では、子どもさんたちが、健気に(けなげに)頑張る姿に、知らず知らずに目頭が熱くなり涙が出てしまうのです。自分の孫が出ているような感じになるようですね。きっと親御さんには親御さんの、また、おじいちゃんやおばあちゃんの心にも熱いものがこみあげてくるような、思いがあられたのではないでしょうか。そして同時に、私が小さい時にも同じような思いで見守っていてくれた家族がいたのだな・・・保護者の皆さん達が小さかった頃にも、今の皆さんと同じ思いで見守ってくださった方々がいらしたのです。我が子を育てる想いの中で、自分の幼い頃に父や母はどんな思いで見守ってくれたのか、どんな悩みを抱えながら私の成長を支えてくれていたのか・・・幼かった私にはわからなかった思いが、この子を見つめるわたしの中にはっきりと見えてくることがあります。そうか、そうだったかもしれないな、なんて、この子を通して、あの頃の父や母と共有する思いをかみしめられる、それが子育てをしている皆さんへの贈り物かもしれませんね。

 いえいえ、私の方がずっといい子だったから違うと思いますよ・・なんて声も聞こえてきそうですが、えっ勿論、私もでーす。

 今年も子ども達から、目には見えない素敵な贈り物をたくさんいただきました。来年も元気で明るい子ども達でいて欲しいですね! そして、来年も皆様方と一緒に、素晴らしい子ども達を温かいまなざしで見守り、支えていきたいと思います。

 2017年も本当にありがとうございました!!

 

                                 N・O (文責)

 
  2017.11.01  
  ランチタイムLettre11月  
 

 先月のオープン保育では、皆さん沢山おいでいただき本当に有り難うございました。
子どもさん達が園で過ごす様子をご覧いただき、また、私達の園が目指す幼児教育の方向性をお感じいただけたのではないでしょうか。

 さて、今月は我が家での一コマの中で、ふと思ったことを書いてみたいなと思います。

 我が家では一匹の猫と、もう十数年一緒に暮らしております。一度も外に出したことのない「過保護のミント君」なのです。過保護で甘やかしっぱなしで、娘に言わせると「超わがまま猫」なのですが、私にとっては「猫だから、何にもわからんよねー」と、なんでも許してしまう、とっても可愛い猫ちゃんなのです。猫は犬と違い飼い主に媚びるとか、愛嬌良く振る舞うとかしないので、犬の方が大好きと言われる人も多いかもしれませんが、猫は猫で媚びないところがいいよねっていう人もいますよねー。

 さて、そんなミント君はもう随分年老いた猫なので、日がな一日眠っています。棚の下や机の下、トイレの奥と色々なお気に入りの場所があってよく寝ております。私たちが家に帰ってテレビを見る時には、ソファーの上に来てグーグーいびきをかくのです。そして、段々とソファーの真ん中のスペースを独占して、大の字になって寝るのです。娘と私は段々端っこに追いやられてしまいます。すると娘は「もう〜わがまま!ちょっとどいてよー」なんていうのですが、私は、「猫は相手のことなんか気にしないし、わからんからさ、我慢してよねー」なんていうのです。そう言ってから・・・「相手の気持ちがわからない」・・・もしも、もしも、ミント君が「今日も二人(私と娘)は仕事で疲れているだろうから。僕はソファーの下で寝てあげようかな」なんて思ってくれることができたら・・・えー人間みたい!そうなのです、もしかしたら相手を思うことは人間だけができる行為ではないのかしらと思ったのです。(勿論、賢い動物はできるかもしれないが)相手のことを考えられる行為が人間だけができるのであれば、これは特別な能力なのではないかしら。この特別な能力を使うことをためらってしまう人が増えてしまうと、猫の世界と同じになってしまうのだなーなんて、私の横でグーグーいびきをかいて寝ている、ミント君を見ながらふと思ったのです。

 さらに、この頃、忖度(そんたく)って言葉が、悪いことに使われてしまい、本来の意味が失われそうでとても悲しいなと同時に考えました。相手の気持ちを思うことではないのかな、なんて私は横目でミント君を見ながら、そんなことまで考えてしまうのです。


                                 N・O (文責)

 
  2017.10.01  
  ランチタイムLettre10月  
 

 今年も9月のお彼岸には、田の畦に真っ赤な曼珠沙華の花が咲き、私たちにお彼岸が来たことを知らせてくれました。そして、10月、美しいお月様の季節がやってまいりました。日本人にとってお月様は、もしかしたら太陽よりも歌に詠まれ、淡く儚い(はかない)その光に魅了されているのではないでしょうか。

 さて、今年も武雄市で催される「観月の会」に行ってまいりました。
 今年のテーマは「能楽・箏曲・バレエと仏様」で、いつもの私邸の能楽堂ではなく、山間のお寺の本堂で行われました。テーマの中に今年は「仏様」とあるように、お寺の庫裏のお座敷には武雄出身の若き仏師作の仏像が展示されていて、能楽の演目も、お座敷に展示されている仏様の関係するものでした。私は、能が仏教とこのように関わり深いものであったとは知りませんでした。また、箏曲の曲目、そしてバレエも「インド舞踊」と全てが仏教に関係するものでした。「だからお寺で行われたのだ」と、合点がいきました。

 ささやかな会ですが(これは失礼ですね、すみません)、そこに集う方と月を愛で、日本人が愛した空間と趣の中に浸る時間は、なんとも言えない幸せな時間だと感じます。国宝級な場所に行かなくてもそこにあるのです、ちょっと自分の周りをゆっくり見てみると、見えてくるのではないでしょうか。

 私は、本日で3回目(会はもう7回も続いているのです)の参加だったのですが、ふと思ったことがあります。能の仕舞の動きは、あまり激しいものではありません。どちらかというと静止しているような姿が多い舞なのです。その立ち姿を見ていると、日本画の「よはく」を思い出したのです。「よはく」とは、白い部分を残す(キャンバス全体に描きこまないで空白の部分を作ること)日本画の特徴です。その何も描かれてない部分に、作者は無限の想像の世界を描くのだそうです。鑑賞している人の脳裏にも、無限の五感に響く想像の世界が広がるのです。能の静止するその立ち姿の奥に、いくつもの仏様の姿が、長く続く白い道が見えるようでした。

 日本人が大切にしていた無限の想像の世界に出会えるひと時を、私はいただいたと感じました。今年もありがとうございました。

                                 N・O (文責)

 
  2017.09.01  
  ランチタイムLettre9月  
 

 暑かった今年の夏も終わり、ほんの少し秋の気配が感じられるようになってきました。2017年の夏は皆様方や子どもさん達にとって、どのような思い出を残してくれましたか?
 今回も私の尊敬する、丁野先生著書「照育のひろば」のお話と、つい先日園であった子ども達の姿を照らし合わせてお伝えしたいと思います。

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      「死んでいた金魚」(照育のひろば抜粋)
 梅雨の晴れ間にお日様が顔を出しました。とてもまぶしい朝です。パンダ組が飼育していた金魚が、10匹も死んでいました。次々に登園してくる子どもたちはショックを受け、パニックになりました。

 朝のご挨拶が終わった頃、みんなは少し落ち着きを取り戻し、[死んだ金魚を川に流してお別れしよう]ということになりました。その日の午後になって、げんき君が突然話し始めました。「先生、生き残った金魚もこのままやったら死んでしまうかもしれないので、川に逃がしたらええんや」間髪入れずにリナちゃんが「でもそうしたら、パンダ組の金魚、誰もいなくなってそんなの寂しい」

 パンダ組の金魚は昨年夏、園の夏祭りで残った金魚をもらい、一年越しにみんなで飼育してきたものです。やがて子どもたちだけの話し合いは、生き残った金魚をどうするか、「川に帰す」派と「引き続き大事に世話をする」派に分かれました。・・

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 このお話の最後は、先生が金魚は夏祭りで貰ったものなので川では生きられないということを聞き、大事に世話をするとなった、と、ありました。

 

 同じようなことがつい先日、園のさくら組さんでもありました。龍門での川遊びに出かけた際、先生たちと数匹のオタマジャクシや沢ガニ、ハゼを小さな虫かごに捕まえてきた子どもたち、とても嬉しそうでした。私はこの小動物をどうするのか先生たちにたずねてみたところ、「楽しかったので捕まえてきた」、「子どもが喜ぶので持ち帰ってきた」、というような気持ちであったように話されていたました。私はきっと死んでしまうことだろうと予想されるこの命を、子どもたちとどう向き合わせるかが大切なのではないかしらと思い、子どもたちと考えてみてはと提案しました。

 まだ2歳の子どもたちにと先生たちは考えたことでしょう。でも、「この中で生きられるのか」という質問に2歳の子どもでも、「死んでしまう」「川に帰したほうがいい」という意見が聞かれたとのことでした。翌日、もう一度龍門に行くことになったそうです。次の日の朝、1匹の小さな沢ガニが死んでいました。 丁野先生のお話もさくら組さんのことも私はこう思うのです。どんなに幼くても、命に向き合いその年齢なりの考えや思いを巡らせることが大事なのではないでしょうか。正しい答えを求めるのではなく・・そう思うのです。

                                 N・O (文責)

 
  2017.08.04  
  ランチタイムLettre8月  
 

 毎日暑い日が続きますね。年々気温が上昇しているように感じると思いませんか? きっと、地球温暖化の影響ではないかと思います。ECOを心掛けたいと思いますが、「この暑さではクーラー無しではとても生活できない!」と、悪循環のように思います。

 さて、今回は先日、本願寺の保育連盟(通称・まことの保育)の全国大会の研修でお聞かせいただいたお話を皆様にもご紹介いたしましょう。

 記念講演は、武雄の陶彩画家 草場一壽さんの「いのちのまつり」でした。皆さまもよくご存じの「いのちのまつり」という絵本を通して、「いのち」について考えてみようということです。この絵本を誕生会の時に、あかさかルンビニーではいつも掲げ、子ども達にお誕生日の意味を話させていただくのですが、作者の草場先生から聞かされると、また、私自身の中に深く感じるものがありました。

 草場さんは、小学校などでもお話をされていて、こんな話もなさいました。
「君たちの眼や心臓や口などの体は誰のものですか?」という問いに、多くの子ども達は「自分のものだよ」と答えます。「では、自分のものだったら、ちょっと心臓を止めてみて」といわれると、「えー!!」と子どもたちは驚きの声をあげます。草場さんは続けます。
「いのちもそうだね、自分の力ではどうにもできないものだね、自分のものではないと思えないかな」。私たちの「いのち」は、数十億年の昔から、私に至るまで何十億の「いのち」が繋がって、初めて自分の中に宿るのです。この何十億の「いのち」の一つでも欠けていたら、私は存在しないのです。私の中にご先祖様が生きているのですよ。

 このようなお話を聞き子どもたちはどう感じるのでしょう。自分の中にご先祖様が生きている、見えないものへの畏敬の念を、私の「いのち」の中に感じることで、「いのち」の尊さや重さを感じてくれるのではないでしょうか。

 また、幼児期の教育・保育についても先生はこうおっしゃいました。「就学前までの教育・保育に人間としての育みは集約される」と、このことは、私たち保育者や親にとっての保育や子育てが、今、この時期が、この子にとって、いかに大切であるか。この子の人生の生き方に大きくかかわってくるのだということですね。

 子どもは褒めて育つというが、褒められることを目標にしてしまってはどうでしょう。子どもは憧れに真似をして、学ぶものです。子どもの身近にいる大人が、憧れとして存在できるように成らねばならないのでしょうともいわれました。

 では、子どもから憧れられる姿とは・・・生き生きと生きる姿ではないかと私は思います。私の細胞の一つ一つに繋がってきた命が生きている事に感謝し、今日も私は生かされている。今日の命を明るく、笑顔で、生きなくては!と思うのです。

 これは余談ですが、「私の中にご先祖様が生きている」というお話を聞いた時に、真っ先に思い浮かんだのは、「ご先祖様がたたる」なんてよく言う言葉です。私の中にいるのであれば、この命を次に繋ぐためにご先祖様は悪さなどしないのではないかしら・・・なんて、

 少し愚かな発想でしたね・・・では皆さんご自愛ください!!    

                                 N・O (文責)

 
  2017.06.01  
  ランチタイムLettre6月  
 

♪かおる~かおる~若葉がかおる~♪そんな歌が聞こえるような爽やかな五月でしたね。
そして、町中の田んぼからは、にぎやかな蛙の声が聞こえ始めました。梅雨のシーズン到来で、子どもさん達も体調を崩しがちですので十分気を付けてくださいね。

 さて、今年度初めてのランチタイムのお便りで何をお話しようかしら・・・・・・
連日の様に新聞紙面やニュースで取り上げられる、北朝鮮のロケット開発や発射。また、アメリカ大統領の過激な発言、そのなかでも「アメリカファースト」という言葉に違和感を覚えるのは私だけでしょうか。

 まず、トランプ大統領は「アメリカファースト」という演説で、当選を勝ち取ったと伝えられ、その後のフランス大統領選挙でも「フランスファースト」という立候補者がありました。その意味は、「アメリカを一番に考える、フランスを一番に考える」ということかと思うのですが、世界中のどの国もが「我が国ファースト」ということを言い出したら世界はどうなるのでしょう。「俺が俺が」、と、どの国もが言い出すと、北朝鮮の様にロケットを開発し、他の国の脅威に武力で備えようとするようになるのではないでしょうか。

 私達の国日本は、佛教精神が古来より根付いています。先月、本園のトイレに入りましたら、仏教の言葉が書いてある格言集の様なものが目にとまりました。「人を先に、私を後に」と書いてありました。トランプ大統領の発言とは真反対の言葉にように思います。
「まず、人の事を考えましょう」と、私達の生活の日常には誰も言葉にしなくても、皆が思っている「思いやり」という精神が有ると感じるのです。日本人は「俺が俺が」という様な態度をとる人を軽蔑し、卑しく感じていたと思うのです。「人を先に、私を後に」、そのような美徳ともいえる「心もち」を、他の国の人が大きな声で発しても、真似する事なく、次の時代へと繋いでいく事が必要だと思うのです。
そんなことを言っていると、他の国に負けてしますのではないですか!という声が聞こえてきます。勝ち負けのない平和な世界を私達は考えねばならないのです。
 
どうせ「ファースト」という事を云うのなら、「地球ファースト」という事なのではないでしょうか。そんなことを思うこのごろです。

 

                                 N・O (文責)

 
  2017.02.01  
 

ランチタイムLettre2月

 
 

 お正月を迎えて、もう一ヶ月も過ぎたのですね。なんという時の速さでしょうか。歳を重ねると、どんどん時間が早く感じるよ、とは、よく聞きますが、私もそんな年齢になったのかしらと、なんだか少し寂しくなってしまいます。そして、年々お別れをしなければならない方々が増えてくるのも寂しい限りです。

 1月25日の昼過ぎに、母から叔父の訃報が知らされました。母のすぐ下の弟で、福岡のお寺に養子に入り、高校の教師をし、その後理事長に就任し、福岡県私立学校の振興に寄与したと表彰されたという人でした。
 数年前より佐賀龍谷学園理事長として佐賀県に戻り働いておりました。母の兄弟は6人いて、まだみんな元気だったのですが、叔父はちょうど真ん中、次男で3番目・・・。私にとって、叔父や叔母の死に直面するのは初めてのことです。

 叔父は情に厚く面倒見のよい人で、私たち姉妹はもちろん、娘のことも本当にかわいがってくれておりました。特に私は、叔父叔母たちにとっては初めての姪ということで、かわいがってくれており、私も両親と同じくらい頼りにしておりましたから、この悲しみは目の前が真っ暗になるくらいでした。叔父は私の結婚式に、私が寺を継がぬことに腹を立て、「俺は絶対に結婚式に出ない!」と言っていたのが、母が「わが子まで、自分の意のままにしようとしている私の驕(おご)る心に気づいたよ」との一言で出席してくれ、兄弟6人で「荒城の月」を合唱してくれたあの歌声は、忘れることができません。後にも先にも私の結婚式にだけでした。

 葬儀の時に配られた、お寺の会報として叔父が掲載していた文章に改めて、浄土真宗の教えを自分なりに考えさせられることとなりました。(私が思ったことでもしかしたら、間違っているかもわかりませんが)

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「罪悪深重(ざいあくじんじゅう)の凡夫(ぼんぶ)」

 いのちの在り方は、私の人としての生き方さえ左右する面を持っています。「凡夫」という在り方です。心の惑い、怒り、妬み、時としては他の人を押しのけて踏みつける私の人としての在り様です。仏の教えはその在り様を整えることと説かれています。それは手を合わせ、周りの人の幸せまでも願う人として生きる意味を届けてくださるのです。

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 叔父は、自分自身が凡夫の生き方を時にしていることに気づかして頂く、み教えに出会わせていただき、本当にありがとうございました、と、言っていると思いました。凡夫とは煩悩とも言えることでしょう、人は(私も含め)他の人のことを、なんと恐ろしい、なんと欲深い、なんと哀れなというように煩悩深い人と批判しますが、自分のこととなるとどうでしょう。その批判していること自体が・・・凡夫の姿であることを自覚していません。自覚するということがなんと難しい事なのでしょうか。

 浄土真宗の教えは、この「自覚すること」ではないのかしら。深い悲しみの葬儀の時に、叔父の遺影に手を合わせ有難うございましたとつぶやきました。

                                 N・O (文責)

 
  2017.01.10  
 

ランチタイムLettre1月号<2017>

 
 

明けましておめでとうございます!今年もよろしくお願いいたします。

2017年が始まりましたね。皆さんお正月はいかがお過ごしでしたか?今年はお天気も良く、暖かな春の日を思わせるようなお正月でしたね。今年の干支は酉です!大きく羽をひろげ、大空を飛ぶ鳥のように、子ども達も自由に伸び伸びと、未来に向け羽ばたいてほしいものです!


さて、年頭のランチタイムですが、この年末年始に私自身が感じたことを年頭の気持ちとして書いてみたいと思います。

昨年(2~3日でもう昨年なのですが)の暮れ、29日から私も年末のお休みとなり、お正月の用意でもしようかなと考えていた時、父から電話がありました。父からの電話は大方、何かしら買い物や、銀行などのお使いが多いのですが、その日は「2~3時間ぐらいいいかね」とのことです。私は「えーこの忙しいのに」と心の中で思い、しぶしぶ父のところに行きました。

父はご門徒の皆さんに浄土真宗の僧侶として、真宗の教義(み教え)をお伝えする為に、本願寺から出版されている小冊子などをよく配っているので(ポケットマネーで)、その日も有田町の2~3の地区に届けたいというのです。大野と桑古場、広瀬、上内野、下内野、下本村、北の川内と、かなりの地区でした。一軒一軒、戸口のポストや、庭や畑においでの所は手渡していくのです。狭い路地に車を停車しなければならないので、私は運転席から動けません。父は90歳を超える年齢になりましたが、車のドアを開け、一軒一軒降りて届けるのですから年齢を考えると大変なことではないかと思うのです。大丈夫かしらと思いながら父の後姿を見ていると、必ずどの軒先でもポストに入れた後、手を合わせて拝んでいるのです。

その背中を私は見ながら、涙が溢れてくるのです。偉いとか尊いということだけではなく、私はこの親の背中を見て育ちながら、何百分の一もまねのできない生き方をしているのではないかと・・・しぶしぶ父のところへ来た自分が恥ずかしくなりました。


自分の生きる使命や志や優しさを全うしていくことは、人に褒められようが、褒められまいが、己の中にある心のままに、ただひたすらに、ただひたすらにということを、軒下で手を合わせている父の背中が語るのです。
その日は結局、午後から半日がかりで終えることになりました。


やっと夕方正月の買い物でもしようかとスーパーに行きますと、大勢のお客さんで溢れています。皆さん、手に手に大きなレジ袋を両手に抱え、新年の準備をされているようです。
耳を澄まして皆さんの話し声を聞いていますと、「○○が帰ってくるけん、刺身を買おうか」
「お年玉の袋は買っておいたかね?」と、年老いた夫婦が仲良く買い物をされている会話がいたる所から聞こえてきます。離れて暮らしている子どもさんやお孫さんたちが来るのを楽しみにしていらっしゃるのでしょう。たぶん、この声は子供や孫たちには届かないかもわかりませんが(面と向かってはなかなか言えないことです)、親はただひたすらに、子を思うものだということを知ることでしょう。

                                 N・O (文責)

 
  2016.11.05  
 

ランチタイムLettre11月

 
 

 町の街路樹も少し色づき始め、少しずつ秋の気配が感じられるようになりました。夏の暑さでほんの少し体重が落ちていたのに、秋の気配とともに以前より重くなるのは、秋のおいしい食べ物のせいかな?いえいえ私の意志の弱さですよね・・・・・
 秋は食欲だけではなく、芸術の秋とも言いますよね!先日、私も芸術に触れる機会があり、その時にふと思ったことを今回は書いてみたいと思います。

 10月は美しいお月様がみえる月でもあります。今年も山内の「観月の会」にお邪魔させていただきました。あいにく月は見えなかったのですが、秋の夕べの風が心地よく、琴の調べや地謡が虫の声と共に聞こえるひと時は、悠久の時を超え、遥かかなたの一夜の様を思い起こさせるようでもありました。

 今年の企画もとても斬新で、バレエと琴、太鼓とバレエなど異なるジャンルとのコラボが意外性を超えて「ああ、これもありなんだ」と思わせるのですから、すごいことです! また、別の日には有田焼創業400年の記念の一つとして、ドイツで活躍されている日本の演奏家とドイツの演奏家との7重奏のコンサートが炎の博記念堂でありました。

 お一人お一人が、各楽器の第一人奏者として世界で活躍されている演奏家ですので、ソロとしても十分な方々なのですが、年に数回あえて7重奏のチームを結成され活動されているとのことでした。会場いっぱいに広がるベートーヴェンの曲が7種類の楽器から奏でられる、音の重なり合いで美しいハーモニーになり、心地よく響いてくるのです。
(あまりに気持ちよくって少し寝ちゃいましたが・・)

 この二つの体験を通してふっと考えてみたのは、異なる楽器や異なるジャンルが重なり合い、コラボすることでより豊かな趣のあるものに変化していくことの面白さ。そして、この二つの演奏会で不思議に思ったのは、どうしてこんなにも心地よく心に響くのかしら?ということです。

 観月の会でも、バレエと琴や太鼓が溶け合うように、地謡と仕舞とが溶け合うように、7種類の楽器の音色が溶け合うように感じるのはどうしてなのかしら・・・・・ 。
 演奏会の出演の方々の様子を思い浮かべて考えると・・・・・バイオリンの方が弾くリードの時に他の楽器の方々は尊敬の念をもって控えて奏で、また、バイオリンの方もその心を組んで丁寧に応える、他の楽器がリードのパートを演奏するときも同じように、他の方々が尊敬の念をもって奏でられるのです。琴の演奏者もバレエを踊るダンサーに敬意を持ち奏で、ダンサーも美しく奏でられる琴の演奏者に敬意をはらい踊る。
 一人一人の人間性や演奏に尊敬の念を持ち、一つ一つのジャンルに敬意を払いながら演奏されるので心地よい音楽や芸術が生まれるのでしょうと思ったのです。

 私たちの社会も、そうでなければならないのですよね、心地よい社会とは、すべての人が、一人ひとりを大切おもい、他の人を尊重し合わないといけないのかな、と、心にしみる芸術の秋に思ったことでした。

                                 N・O(文責)

 
  2016.10.03  
 

ランチタイムLettre10月

 
 

 田んぼの畔では、今年も曼珠沙華の花が真っ赤に咲き、そのそばではシラサギが数羽、
稲刈りのお百姓さんが来るのを待っています。きっと稲刈りの後はごちそうが田んぼにあるのをちゃんと知っているのでしょうね。
 少しずつ、美しい秋の気配がしてきましたね。それにしても、今年の夏は暑かったー!

 今回は熊本の震災後に皆様方にお願いし、認定こども園協会本部にお送りしていた義援金のご報告をまずさせていただこうと思います。
 協会ではこの義援金を、熊本の会員園に直接役立てていただけるようにという趣旨でお願いしておりました。27年度末で熊本の会員園は11園ありました。(現在は15園です)
義援金は総額6,729,455円で、全国の会員園の保護者や職員の方々のおもいがこめられた浄財です。

 まず、熊本の方々と、どのように分配するかを話し合い、11園に見舞金として一律20万円を配り、残りを被害状況に応じて分配することになりました。同じ熊本県でもほとんど被害がなかったところもあり、11園のうち1園は「私たちは何も被害がありません、見舞金の20万円も被害の大きかった園さんへまわしてください」とのことでした。被害状況は各園が修繕費(園舎等)を県の子ども課に提出されている書面で確認させていただき分配いたしました。

 9月23日に協会の代表(埼玉県)と一緒に各園を周りお渡ししてまいりました。
 いまだに園舎に亀裂が入ったりしているところもありましたが、どの園もひたむきに、前に進んでいこうとする姿がみえて、こちらが勇気づけられるようでした。

 このような天災は、いつ、どこであるかもわかりません、どんなつらい状況の中でも、希望をすてずに前を向き、あきらめずに取り組むことが、明日につながることを熊本の皆さん方から教えて頂いたようなひと時でした。

 人が大変な思いをしているときに、寄り添い、心をかよわせて、何ができるのかを考える力、それを、今度の教育・保育要領の改訂の中で「非認知能力」といい、目には見えない心の力を乳幼児期に培う事が最も大切であると云われています。

 大きな災害時だけでなく、日々の生活の中の一コマや、すぐそばにいる隣の人や家族にも、
心の力をそそぎ、大人である私達も培っていかなければならないことを改めて思いました。

 あかさかルンビニー園の職員は、9月に熊本の認定こども園にボランティアに交代で行きました。熊本の復興まではまだまだ時間がかかります。私達はずっと応援していきたいと思います。


                がんばれ!熊本!

                                 N・O(文責)

 
  2016.08.05  
 

ランチタイムLettre8月

 
 

 暑中お見舞申し上げます。夏真っ盛り!今年の夏を皆様いかがお過ごしですか?夏バテしないようにしてくださいね。さて、今月は教育新聞社から、幼児教育について保育日記という形の原稿依頼があり、3回シリーズで載せていただいたものを、皆様にも読んでいただきたいと思います。

一つの道具からの広がり】

 砂場では今日もこども達がスコップやバケツを持って楽しそうに遊んでいます。おや、4歳児の男の子が何やら大きな板をズルズルと引いてきました。

 砂場道後の中に数枚の1mほどの少し分厚い板が置いてあったのです。その男の子は、砂場の周りにある砂を板を使ってブルトーザーのように集めだしました。ガーガーとブルトーザーの真似をしているようです。それに気づいた5歳児の男の子も道具置き場から板を取りに行きました。今度の板は1・5mほどもありなかなか運べない様子、「ねぇーちょっと手伝ってよー」と友達を呼んでいます。すると駆けつけた友達と「よいしょ、よいしょ」と二人で引っ張り、4歳の男の子の側で、今度は二人で「ガーガー」と、さながら工事現場のようです。その楽しそうな様子に、次々と道具置き場に急ぐこども達。5歳の女の子達はままごと道具が入っていたプラスチックの箱を2個持ってきてテーブルのように板を渡してままごとを始めましたよ。

 おやおや色々な場所で長さの違う板が、色々なものに変身していきます。板の下にどこから持ってきたのか、切りかぶの様な木片を真ん中に置き、シーソーを作りバタンバタンと少しぎこちないシーソーですが、こども達は満足げで楽しそう。この板の遊びは数日間色々な場所に持ち出されこども達の工夫で様々な道具に変わりました。

 おや、今日は数名の男の子達が(年齢もバラバラ)友達と協力してジャングルジムの方へたくさんの板を運んでいます。そして協力して持ってきた数枚の板を、今度はこれもまた力を合わせ、ジャングルジムの中に差し込んでいきます。上の段は大変な作業ですが5歳児さんが指揮をとり、「あっちからさしてー、下から持ってー」。見事な采配です。数枚の板が段を違えた部分に渡されると、冒険基地のよう素敵な場所になりました。完成すると、もう、こども達は上に登り板の上から、「ヤッホー」と大きな声をあげて、自分達の居場所を作った達成感と、これから始まる冒険に胸を躍らせているようです。


 子どもにとって遊具とは、もしかしたら大人が作ったものよりも、自分達で工夫しながら遊びによって変化していくものが、面白いと感じてくれるのではないでしょうか、そんなことを思います。「こんなものが」とか、「危険じゃないの」などの声が聞こえますが、そこには、必ず保育者の眼差しがいつもそそがれていることが大切なのです。

                                 N・O(文責)

 
  2016.07.01  
 

ランチタイムLettre7月

 
 

今年の梅雨も、もうすぐ明けそうですが、まだまだ大雨が最後に来そうですね。
熊本では、震災の後に大雨での浸水、土砂崩れなどの被害が出ており、本当に何といって励ませばいいのか言葉もありません。一日も早くいつもの日常が戻られることを願うばかりです。


さて、先日の運動会は皆様方のお陰で素晴らしい一日になり、本当にありがとうございました。子どもさんたちも、かっこいい姿を見てもらうために、真剣な表情で色々な種目に挑戦してくれました。本番が一番かっこよく決まり、どの子もやればできるのだと確信しました。


子どものやる気を起こさせるのは、自分のためにやるのだと思いながら取り組むことは、なかなか理解できないけれども、誰かのために(誰かに喜んでもらうために)やるのだ!ということだと、説明なしにやる気が出るのだと思いました。

そして、その誰かというのが、自分にとってかけがえのない人、両親であったり、おじいさんおばあさんなのですね。なんの説明も理由もいらない、○○だから!とか、○○になるから、という駆け引きや条件のいらない、疑うことのない愛情に対する思いがそうさせるのでしょう。このような気持ちや行為が親を想う親孝行の気持ちとつながり、親にとっては、子どもはかけがえのない存在であることを強く意識することなのではないでしょうか。


だから、親子の間で「嫌い」とか「好き」とかいうような、好き嫌いで判断をするようなことは、そもそもできるのではなく、そのような基準を超えた世界なのだということを運動会の子ども達と皆様方を見ながら、私は深く思うのです。


古くから私たち日本人は、このような〝情“というものをとても大切にしていたのではないでしょうか。愛情、友情、情緒、情感、・・・・
心が震え、心が熱くなり、優しい気持ちになる、何かをせずにはおられない、誰かのために・・そのような心の趣を、何気ない生活の中に見出し喜んできたのです。


今の日本の社会はどうでしょう。 自分が一番大切、ほかの国の人は受け入れない、他人のことはお構いなし・・・・
私にはそのように映るのです、(こういう私自身もそうかもしれません)。


今年の園の目標は、「伝え、繋ぎ、結ぶ」です。運動会で心にわいてきた情を、それぞれの方々が、伝えていただき、そして子どもや他の人に繋ぎ、多くの方々と共有し結んでいただければと、運動会を終えてほっと一息つきながら思ったのです。

                                 N・O(文責)

 
  2016.06.01  
 

ランチタイムLettre6月

 
 

 美しい緑の木立の中を、さわやかな風が心地よく吹き、時折、初夏を思わせる日差しにまもなく来る夏を感じるこの頃です。先日のオープン保育にはたくさんの保護者の皆様方がおいでになり、日頃の子ども達の様子を見ていただきました。子どもたちにとって、自分だけを見てくれる人がいること、自分のことを認めてくれる人がいることこそが喜びであり幸せなことだと思うのです。きっと、皆嬉しかったことと思いますよ。

 さて、今月は林覚乗僧侶のお話をご紹介しましょう。

「人間らしいものの見方」・・・・・林 覚乗 氏
 先入観なしにものを見ることは難しいのです。子どものものの見方は、大変に素直だと思いますが、実際よく教えられます。衛星放送で映画を見ていたときのことです。内容はアラスカを舞台にした犬ぞりのレースに、父親の意志を継いでレースに参加した少年が、大人に混じって大活躍する話です。少年は大人に邪魔され、苦しみながらも、最後に渇のです。映画を見ていた私と女房は「すごいなこの少年は」なんて言いながら、感動で目を潤ませていました。
 ところが、隣に見ていた一番下の娘が「一番偉いのは犬じゃないの」「・・・・」少年はそりに乗って犬を鞭でたたいていたので、犬が偉いんじゃないのと娘に言われて、私たちは「うーん、こういう見方もあるね」と感心させられました。

 中略

  南蔵院は一円玉のお賽銭が日本一寄せられるお寺として有名ですが、そのお賽銭を滋賀県の重度新心身障害者の施設に寄付させていただいたことがありました。晴れた日が続く中で、久しぶりに雨の降るうっとうしく思える日のことです。施設に住むマリコちゃんが、空に向かって、「神様、いい天気ありがとう」と言いました。
「エッ?マリコちゃん、雨が降る日にいい天気はおかしいよ」看護師さんがマリコちゃんにそう注意しましたところ、マリコちゃんは「畑も田んぼも喜んでいます。水の降った野菜たちもとても喜んでいます」と返事するのではありませんか。看護師さんたちはその言葉にドキッとしたそうです。
 私たちは晴れたらいい天気で、雨だったら悪い天気だ、という先入観を持っているんですね。しかし、子ども達はそうした先入観念、いわば物差しを持たずに物事をみています。本当に子どもたちがそうした人間らしいものの見方を持ったまま大人になれる世の中であってほしいものです。   <林覚乗 「心ゆたかに生きる」より抜粋> 

 わたしはこの本を読んで、私たちは常識ということを先入観念と勘違いしているところがあるのではないかしらと思ったのです。「そんなの常識」って言葉をよく使います。多くの常識が先入観念としてとらわれていることに気づき、違った見方もあるのだなと耳を傾けることも必要なのですね。特に子どもの言葉には耳を大いに傾けなければなりませんね。

                                   N・O(文責)

 
  2016.05.02  
 

ランチタイムLettre5月

 
 

 この度の熊本・大分地震では予想もしない災害に多くの方々が、尊い命を亡くされたり、甚大な被害に今もなお避難所や車中泊などを強いられていらっしゃいます。心よりお見舞い申し上げるとともに、早く平常の生活に戻られるよう願っております。

 幸いにも佐賀県は被害も少なく、こうしていつもの生活がおくられている事に、改めてあたりまえの日常こそが、当然のことではなく、とても得がたいことであると思うのです。このような中で、私達のできることは何なのか、出来ることをできる限り支援していかねばと思うのです。頑張れ熊本!頑張れ大分!

 そのような中、私は何ができるのだろうと、ふと考えてみた時に、先日中学の入学式を終えて駆けつけてくれ、た一人の女の子のお母さんが話してくださった言葉を思いました。


 それは、彼女が小学校の通学路での事です。我が園の送迎バスの運転手さんは、卒園児や卒園された保護者さんと道ですれ違う時に、必ず小さなクラクションを鳴らして挨拶をしてくれています。6年間必ず彼女にも「プッ」と挨拶してくれたそうです。
 彼女はどういう理由からかわからないのですが、小学校でいじめられていたそうです。でも、小さなクラクションが「プッ」と鳴ると、「ああ、応援してくれる人がいる、と思えて、明日も頑張って学校へ行こう」と思ったと話してくれました。
 当然運転手さんは彼女の身に起こっていることも、彼女の寂しい心情も知る由もないのですが、この小さな音が彼女を励ます力となっていたのです。

  私はこの話を聞き、細やかな想いが大きな励ます力と成りうるのだと云うことを、そして、特別に可哀想だからとか、助けなければと強く思うことではなく、人として当たり前に人を思う行為こそが、心に響くのではないだろうかと・・・

 また、先日熊本の仲間の園の園長さんがメールを送ってくれました。それは、震災後避難している子供達のために、園舎が安全であれば休園せずに、近隣の子どもたちも含めて、子供の居場所作りとして預かって欲しいとお願いしていたら、その園だけが開いていたそうです。
 彼はメールで車中泊をしながらでも子供達のためにと、来ている子供に寄り添って頑張っている保育教諭がいると教えてくれました。私はお願いした時にそのような事を予想もしていなかった。メールを読みながら涙が出てしまいました。お願いした私はそのように(自分の家が被災しても)なれるのかと・・・

 なんと尊い人たち、なんと人とは素晴らしいものなのかと・・・

 私は何ができるのだろう・・・・・・・・       

                                  N・O(文責)

 
  2016.04.07  
 

ランチタイムLettre 4月

 
 

 春は魔法使いのように、町中の枯れ木に新芽を芽吹かせ、一斉に桜色に染めてしまう。今年も魔法の杖の一振りで、春が始まり、新年度がスタートいたしましたね。


 このさわやかな春の日に新しいお友達を迎え、一つ進級したお友達は期待と希望、そして、少しの不安の心をのぞかせながら、瞳をキラキラ輝かせて登園しているように感じています。
また、初めてこの園に入園されるお友達や保護者の方々も、同じようにワクワクとドキドキがいり混じった心持でいらっしゃることと思います。
 きっと素敵なことがいっぱい体験でき、心豊かな毎日が送れるように私たちも頑張ってまいります!
 どうぞ、保護者の皆さまがたもご理解とご協力のほど、よろしくお願いいたします。


 さて、このランチタイムは、あかさかルンビニー園の園長をさせていただいております、私くし、王寺直子が毎月保護者の皆様方にお便りをさせていただくものです。
 私、個人が日々の子ども達との生活や社会情勢、楽しかったことや悲しかったことなど、心に感じたままを取り留めもなく思ったことや、いいなーと感じた本の一説やコラムなどをご紹介するお便りで、決して園全体としてこうあるべきだとか、園がこう思っているということではありません。本当に一人の人間として、心に呟く思いを、皆様にも聞いていただきたくてお便りをするものです。
 「そんな風に思う人もいるのだな。」という程度に読み流していただき、私という人間を皆様方に少しでもわかっていただき、「皆様方の何かお役に立てることができれば」という思いです。どうぞ、今年もよろしくお付き合い願います。

 では今回は、とても幸せな春の日々をお伝えしたくて!!

 春の全国高校野球大会といえばセンバツですよね。なんと、今年のベスト4に残った熊本県の秀岳館高校の2番バッター原田君は、あかさかルンビニー園の出身だったのです!
 準決勝の日、大型TVをホールに移動させ、子ども達と先生たちの大応援!が響いたのですよー。きっと甲子園にまで届くはずと思っていたら、大会終了後数日が経った春の日に、原田君が園を訪ねてくれました!彼は卒園後、隣の市にお引越しをされていたので、本当に久しぶりで、「子どもたちの応援の声が甲子園でも聞こえたの?」と聞くと、「確かに聞こえていたよ。先生たちの声も。」とさわやかな笑顔で答えてくれました。
 まさか、もう何年もたっているのに、乳幼児の頃の園に来てくれるなんて、と、思うと私はありがたくて・・・また、お母様の「この園があったから、今のこの子があると思う・・」とおっしゃった一言にもグッときました。

 そして、本日4月7日は有田中学校の入学式だったのです。お昼ご飯を食べていると、真新しいセーラー服や学生服にキラキラした瞳の新一年生が続々と訪れてくれました。

 保護者のお父様が「知らず知らずに、みんながここに来ていたねー」と言われて、これもまた、涙が出てきました。嬉ししょっぱい春ですねー

                                  N・O(文責)

 
  2016.03.01  
 

ランチタイムLetter 3月号

 
 

 梅の花が咲き、春がもうすぐそこまでやってきているようです。梅の花と云えば美しい庭でも咲くのですが、誰も知らない雑木林の中でも毎年同じように、凛と咲くことを「誰が愛でてくれようがいまいが、自分の意志で咲く梅は素晴らしい」と、当時ゆり組の子どもに話した時、その子はお家に帰り、自宅の庭の草花に「ありがとうね」と水を与えていたと、その子のお母さんから教えて戴いた事をいつも思い出します。

 さて、今月は何をお話ししましょうか・・・また自分の事で恐縮なのですが、葬儀から49日を終え初めて主になり「日本の仏教のおみおくり」という儀式?(作法と云うのかしら)を行ってきた日々の営みから思うことがありました。

 初七日が終わると、49日の準備を、と、思うのですが、その頃様々なお店からカタログが送られてきました。便利な時代でなんでも頼めばいろいろと手配して下さるのです。でも私は有田が400年祭を迎えることから有田焼でと思っていました。「いまどき有田焼なんて」とか、いつも私達の身近にあるので珍しくもない、と思うところもあるのですが、あの葬儀の際に全国のご縁ある園から弔電やお花をお送り戴いていましたので、そう決めていました。「おてしょ皿(豆皿)」を選び、5枚一組の所を、1つだけ違う形にしました。もし、カタログならば5枚同じものでないとダメだと思うのですが、ここは産地であり、尚且つ焼物に関わる箱なども分業で成り立つ町です。ですから、違う形を揃えることで、箱も作らねばならない事にもすぐ対応できるのです。そうして皆様にお礼の品として贈りました。

 すると、お送りした皆様方から「大変な時に、あんなに心のこもった物を選びお贈りいただき、感動しました」とお便りや声をかけて頂いたのです。さらに、不謹慎かもわかりませんが「頂いて嬉しかったー」とおっしゃる方もありました。
そのお声を聴きながら、気持ちや想いを伝えることは、言葉だけでなくお礼の品一つにも表せるのだと。高価なものでなくても、心を込めて、相手の方がこの品を開く瞬間の気持ちを想像して贈れば伝わるのだということを。また、便利な時代だから、思いをかけて選ぶという時間が「尊いとき」として相手の方に伝わるのだということを。

 有田焼400年のときとして、せめて町民一人一人が、冠婚葬祭のお礼の品をこの1年間は「有田焼」で贈るとしたら、素晴らしいPRになるし、伝統文化を「伝える・そして・繋ぐ」ということにならないかしらと思ってみたりしました。
 ちょっとコピーライターみたいにキャッチフレーズで、

「有田にはあなたの伝えたい気持ちを表す器がある!」とか、

「あなたの心をオートクチュールするかたち(・・・)がきっとある、有田には」
なんてどうです!

 400年祭は、子ども達に「有田を誇りにおもい、こころを繋ぐ」というための、節目の時として、巣立つ「ふじ組さん」にも感じてほしいこの一年ですね。

                                  N・O(文責)

 
  2016.02.02  
 

ランチタイムLetter 2月号

 
 

 立春を迎えるころになりましたが、まだまだ寒さは続き春の訪れが待ち遠しい事ですね。
それにしても、先月の大雪にはまいりましたね。自然がもたらす恩恵と、また、自然がもたらす脅威とが表裏一体であることを思い知らされたことでした。
 さて、今回はそのような中でも、人とは温かく、人は人を思いやることができるのだと改めて感じたことをお話ししいたいと思います。


 先日の大雪で有田の町は水道の断水という、生活のライフラインが遮断されるという事態に陥ったときに、保護者の皆さまに、給食の献立の変更や、お弁当の蓋で配膳させていただきたいという旨のお便りを出しました。そのお便りに、大雪で有田駅に立ち往生するJR特急みどり号に善意の食料が届けられたという記事を記載させてもらっていたのですが、それをご覧になった年長児の保護者の方々が、その日の晩に電話連絡をして、ご自分のお家で使われてない紙皿を集められ、翌朝園に届けてくださりました。
「3歳以上の子どもさんは蓋でも大丈夫でしょうが、0歳~2歳の子どもさんは困られるでしょうから」。と、「私たちも何かできることはないかと考えました」。とも話してくださったそうです。
 SNSという情報ネットワークは、時には人の根も葉もない悪口を拡散して大きな迷惑をかけることもありますが、今回のように人の善意を広げることもできるのですね。


 辛く悲しい事故や事件のニュースが多い中、春を告げる福寿草が小さな町の雪の中から、ほっこり顔を出し、それを目にした人たちにほっこりとした小さな幸せの気持ちを起こさせてくれるような、今回の有田の方々や保護者の皆様方のお気持ちが嬉しくて、「人とは、いいものなのかしら」と手袋を買いに来た狐のお母さんの一言「手袋を買いに」の絵本の最後の言葉に私は、「人とはいいものなのですよ」言いたいな、と、おもいました。
 水玉模様やストライプ、大きいのや小さいの、色々違った形や色の紙皿を見ていると、人のやさしさや思いは、様々な形や色であること。様々な形や色だからこそ、いろいろな場面で色々な人に寄り添えることができるのではないかしら。
「今、私たちでできることはないかしら」と、それぞれの人がそれぞれで思うことこそが、尊い事なのですね。

 よく今風にいうと、「神対応をした」といわれるのですが、神様ではなく、「本来の人が持っている心」、「人だから考え行動できること」、その姿なのではないかしらと思うのです。

                                  N・O(文責)

 
  2016.01.07  
 

ランチタイムLetter 1月号

 
 

   新年のお喜びを申し上げます。どうぞ、本年も宜しくお願いいたします。

 今年は、暖かで穏やかなお正月でしたね。皆様方もきっと素晴らしい一年の始まりをお祝いされた事と思います。

 私事では有りますが、昨年の暮れには突然夫がお浄土へ旅立つ事となり、皆様方にはお忙しいにもかかわらず、ご参列いただき、また、お悔やみの言葉や過分なる御香料をいただきました事、本当に有難うございました。おひとりお一人に出向きましてご挨拶を述べなければならないところですが、この紙面をお借りし、御礼申し上げます。

 さて、一年の始まりなのにこのような状態で皆様方に何をお話したらよいのか考えるところですが、昨年の1年間を振り返り深く思うことがありましたので、少し書いてみようと思います。

 夫の病気が発生したのは1年前の12月でした。そのときに医師から告げられた言葉は、「あと1~2年程の命です」。突然の宣告に私も本人も愕然といたしました。
人生には3つの坂があるといわれております、「上り坂、下り坂、そして、まさか」。

 本当に「まさか」!でした。毎年職場の健康診断を受け、少し腰が痛い程度で毎日好きなお酒をたしなみ、元気だったのに・・・それから2ヶ月の入院を経て3月には復帰し、いつものように生活を送っていたのに夏ごろから体調を壊し、再入院となり、10月に退院し自宅療養をして、11月中旬に緩和ケアに入院しそのまま逝ってしまいました。

 その間、私は園の行事のほかに、新制度の推進活動や国の会議、県の会議と今までにないほどの忙しさでした。毎日、病院に顔を出す事とスケジュールをやり遂げる事とでいっぱいいっぱいでした。その張り詰めている心をいつも励ましてくださったのは、看護士の方々でした。
「大丈夫ですよ、私達がついていますから」
「行ってらっしゃい、お仕事頑張ってくださいね」
「辛いときは我慢しなくていいんですよ」
といつも声をかけてくださったのです。夫がなくなった翌日、一緒に湯かんをするときも、まだ生きている人に話しかけるように
「久しぶりのお風呂で気持ちいいでしょう」
とたえず声をかけられるのです。それがお仕事だからという人もいるかと思いますが、違うのです。仕事には心がないと・・「それが仕事だから」になってしまうのではないかと思うのです。

 心がないと言葉は伝わらないし、心がないと言葉も出てこない。そして、仕事というのはその方の生きざまになるのだという事を看護士の皆様から教えていただきました。

 「命と向き合う」なんて、言葉ではかっこよく言えますが、実際には苦悩と挫折と自分自身の無能さや不甲斐なさで、まともに向き合えなかった私がいました。

 そんな私でもこんなに支えてくださる方がいてくださる。
 命の重みと、人の温かさに触れる一年でいた。

 だから、頑張ります!!                      N・O(文責)

 
  2015.12.01  
 

ランチタイムLetter 12月号

 
 

 冬の訪れは突然です。木々の紅葉が始まったかと思うと、冷たい北風が頬を突き刺すように駆け抜け、空気がピンと凍り付くように透明に感じられます。ああ今年も師走を迎えるのだと感慨深く思うのは歳のせいかな?


 さて、今回は「ことば」について思うことを書いてみたいなと思いました。
 まず、とてもうれしい「ことば」を前回のランチタイム11月号の後に頂きました。それは、1通のお手紙で届いたのです。差し出してくださった方は私の知らない方で、不思議に思い、封を開けると、そこにはランチタイムを偶然ホームページで拝見したという内容から始まり、ご自分たちが行っている催しについての賛辞のお礼と、ご自分が思っている通りのことが書かれていることに対してのお礼の言葉が記されていたのです。偶然に目に留まっても、わざわざお礼を述べようとお手紙を書くということを私だったらできるかしら。「あら、うれしいこと!」と、心に思ってもそれを「ことば」としてその方に伝えることができるかしら。いただいた私は、驚きと感動とそして、自分のことを「いいね!」って言ってくださる方があるということを知り、とても嬉しくなりました。

 その反対に悲しく思う「ことば」もあるのです。その方はきっと正しいことを言っているとお思いなのでしょうが・・・ある方がお亡くなりになり、お葬式をとなったときのことです。故人は生前から長いお付き合いがあった檀家である寺の前住職に、自分がなくなりお葬式の際は前住職にお経をあげてもらいたいと希望されていたのに、通夜の席でご親戚でもない方が、「今の住職がお経をあげなければならない。それが常識でしょう」と大きな声で親族に怒鳴られたそうです。正しいことではあるかもしれないが、故人や親族にとっては悲しい言葉だったのではないでしょうか。

 また、人のことをご自分の想像だけで、「きっとそうに違いない」と思い、まったく根も葉もないことを人に言いふらす方があります。その言っている方が社会的に地位のあるかたでしたら多くの人は信じてしまいがちです。その様なことを言われた人にとっては、とても悲しい「ことば」だったことでしょう。


 「ことば」とは使う人や使い方、使うときによってこんなにも違ってくるのです。子ども達には、子供らが聞くべき時に、温かで嬉しいな!という言葉を、また、人に嫌なことをしたり、いたずらをした時には、悲しかったよと心を込めて伝えなければならないのだと、今一度思わずにはいられません。


 今日も子どもたちは元気に遊んでいます。最後のバスの時間になり、一緒に何か作って遊んでいたお友達が「バイバイ!」と帰っていきました。残された子はどうするのかな、と見ていますと、作っていたものをそっと丁寧に棚の上に置き、違うものを作り始めました。どうしたのかなと思ってその子に聞くと、「あれはね、明日Aちゃんとまた一緒に作るんだよ」と言うのです。バイバイとだけ言って帰った子どもの「心の言葉」を彼女はちゃんと聞けるのです。

  声にならない「ことば」を・・

                                  N・O(文責)

 
  2015.11.04  
 

ランチタイムLetter 11月号

 
 

 カレンダーをめくると、今年も今月を含め2枚を残すのみとなってしまいました。有田の陶磁器誕生400年を迎える2016年を目指して、数年前から町の人たちは準備を色々していらしたのですが、いよいよカレンダー2枚でその年を迎える事になるなんてあっという間だったようなきがしています。きっと素晴らしい年となる事でしょう。


 さて、今月は「そのときの華」という言葉との出会いからふっと感じ、思ったことを書いてみようと想いました。先月はスーパームーンという美しい月が、日本中の人々を魅了した夜がありましたね。そんな美しい月夜の数日後、有田の隣町、武雄市山内町で「観月の会」があると友人が誘ってくれました。なんでも、自宅に能舞台を作られた方が、有志を集めお謡いと仕舞を披露してくださるとの事で、たまには日本の風流なるものに触れてみたく、よく知らない(お謡いも仕舞も)まま出かけてみました。


 本当に美しい庭の真ん中に、見事な松の木を背景に能舞台がたたずみ、薪がたかれなんとも幽遠な空間がそこにはありました。おもてなしをしてくださる方々が皆さん袴に裃姿で本格的で、びっくりしている間に席に通されると、いよいよ始まるのです。まず、「武雄の若き三人の獅子たち」という紹介で、若いアーティストの紹介と演奏です。能舞台で雅楽の笙を奏でられた武雄神社の若宮司、能舞台でバレエのカルメンを舞われたバレエダンサー、日本古来の楽器琴で素晴らしい演奏をされた若い芸大生の男の子。なんとも私は「びっくりぽんやわー」と、日本文化と西洋文化の融合をこんな田舎で体感するなんて・・・・そして、司会の方が「若い華ある三人の方々を、どうぞこれからも皆さんのお力で応援してください」とおっしゃられたのです。本当に美しい華のある方々でした。いよいよ観月の会の皆さんのお謡いと仕舞が始まります。


 どの方も一生懸命練習を重ねてこられただけあり、よくわからない私でも「すごいなー」と思うひと時でした。そして、会の終盤にひとりの小柄なおばあさんが舞台に立たれ、見事に仕舞を奉納されたのです。司会の方がおばあさん御紹介をその後してくださって、私はまたまた「びっくりぽん」!なんと93歳とおっしゃるのです。背筋もぴんとして、しっかりとした声で朗々とお謡いを謡い凛と舞われる姿に、とても90歳を越えていらっしゃるとは思えませんでした。その姿を見ていて、先ほど若い三人をご紹介された「若い華ある」という言葉が頭の中を駆け巡り、いやいや若い人だけが「華」とはいえない、ここに93歳の華がある。「華」とは、年齢に関係なく、活き活き生きる姿にこそかけられる言葉ではないだろうか。20歳には20歳の50歳には50歳の、そして、90歳には90歳の・・・・


 今、年長組は発表会で演奏する「バッハからの手紙」を一生懸命練習しています。
 きっと、「5歳の華」を見せてくれる事でしょう。

                                 N・O(文責)  

 
  2015.10.01  
 

ランチタイムLetter 10月号

 
 

 稲穂が黄金色に色づき、実りの秋がやってまいりました。今年も豊作であってほしいものですね。実りの秋にはやっぱり“お祭り”ですね!!さて今回はお祭りについて思うことをお話ししたいと思います。


 “豊年豊作”という言葉を聞けばすぐに思い出すのは、「村祭り」の唄です。日本には各地域で秋のお祭りが催されますね。有田でも「おくんち」(産業祭)があります。旧曲川・大山地区でもそれぞれの地区で「まつり」が昔から行われています。五穀豊穣を願う祭りや、神社の奉納や祈願などいろいろな種類がある様です。

 幼いころお祭りはご馳走を食べて、奉納される踊りを見たり、いつもは静かな田舎町がとても賑やかになるのが嬉しかった記憶がありますが、少し大きくなると「何のために踊りの練習をするのかな」とか、お祭りの1日を自分の事ができない無駄なことだという気持ちもありました。でも、少し年を重ねた(少しですよ)この頃、お祭りは人と人、地域と地域を結ぶ「結」の為にあるのかしらと思うのです。

 現代の日本は、プライバシーを大切にする欧米的な生活観が主流となり、隣人と関わることはあまり好まれない傾向にあります。特に若い世代のご家庭では、自分たちの生活パターンを侵害されることをいやに思う方々が多いように感じています。そのような中で、祭りの季節になるといつもと違う生活が始まったり、地域の知らない方々と協力しなければならなかったりと、自分の事より皆で協力することを優先させなければならないことが多々あります。はじめは煩わしいように感じていても、祭りという目標に向かい、何日も何日も時間を共有することで、連帯感みたいなものが生まれ、一緒に過ごす時間の中で、たわいもない話をしているうちに、「ああこんな方だったんだ」なんてお互いを知ることもあります。もしも祭りがなかったなら、地域の方々触れ合う時間もなく淡々と日々を送っているかもわかりませんよね。

 「結」とは、お年寄りと若者、地域と地域、歴史と現代、時間と時間、心と心、想いと思い、色々なことをつなぎ結ぶ、そして、新しいものを生み出すものなのですね。祭りには繋ぐことと生まれる事、その両方の意味が込められ、今日まで続けられてきたのではないのかしら…と、段々祭りが近くなると、燃え出す友達を見ていてそう思うのです。「どうせやるなりゃ、おどらにゃ、そんそん♪」そんなフレーズのお祭りの掛け声がありましたよね!


さあ、もうすぐ「おくんち」!そして来年は有田400年祭ですね、「結」の心でみなさんで参加しましょう!!

                                 N・O(文責)  

 
  2015.09.01  
 

ランチタイムLetter 9月号

 
 

 長かったようで短かった夏休みが終わり、いよいよ2学期が始まりました。2学期は子ども達にとって、グンと成長する時期でもありますので、各学年やクラスでは子ども達の興味や関心がどこにあるのか、子ども達の声を受け止めながら日々の保育を紡いでいきたいと考えております。どうぞ、ご家庭でも子どもさんたちの話に耳を傾け、一緒に楽しんでくださいね。


 さて、今月はこの夏休みにあった悲しい出来事から少し考えてみたことがあります。それは、大阪の中学生がその大切な命を奪われるという事件です。まだ、この事件については詳しい事は分かっていないので、また、報道等で聞いたことで判断するのはどうかとも思いましたが、やはり私は「なぜ」「どうしたらいいの」「どうすれば子どもを守れるのか」という思いが、心の中をうごめくので、皆様方と考えたいと思いました。

 まず憎むべきは、このような事件を起こした犯人なのですが、子ども達や家族には未然に防ぐ手立てはなかったのかしら。まず、子ども達だけで夜遅く出歩くことはどうなのでしょう。子どもの自由な好奇心や冒険心を育み、子どもを信頼する事と同じなのでしょうか。私はいつも子供にとっての自由や自立とは・・・子どもの力を信じることとは、と、考えてしまうのです。

 アメリカは自由な国といわれていますが、子ども達だけで夜外に出すことはありませんし、飲酒も20歳過ぎるまでは厳しく禁止されお店にも出入りすることも罰せられます。たとえわが子でも外で泣かせると、すぐに通報され警察官が子どもの安全を確保するそうです。子どもの権利が安全の上に保障されているのです。子どもの安全のためには夜の町はあまりにも危険すぎますよね。

 私は一度韓国で、アメリカ人の家族が住むマンションの隣で過ごした時に、夜9時ごろ隣のうちのドアの前で高校生ぐらいの男の子がお母さんから叱責され、家に入れてもらえない状況を見たことがあります。門限を破ってしまったようで、かなりの時間その子はドアの前で許しを請う言葉を言い続けていました。それほど厳しかったことを思い出しました。

 では、夜中を徘徊している子ども達を見かけた人はいなかったのでしょうか?コンビニや24時間営業のお店などがあったはずです。見かけた大人が声をかけてくれれば・・「人の子どもだから関われない」ではなく、おせっかいといわれようが声をかける、または、警察に通報し保護してもらうなど、人と人が関わりあうことを疎まない社会にしなければ「地域で子育てを支え合う」ことなどできないのではないでしょうか。

 昨日、NHK番組「プロフェッショナル仕事の流儀」で子ども・少年たちをサポートするNPOを立ち上げ、引きこもりや家庭内暴力などの子どもと家族を支える、谷口さんの取り組みが放送されました。昼夜を問わず、子どもたちの為に走りまわり、子どもと関わるチャンネルを探しながら時間をかけて寄り添うことを貫く姿に、頭が下がりました。誰もが子育てには悩みもがくものですが、守らねばならない第一義は命です。

 すべての人の協力が必要なのです。心に強く思いました。      N・O(文責)

 
  2015.07.01  
 

ランチタイムLetter 7月号

 
 

 6月の雨は私たちにとって少し憂鬱になりますが、生き物たちには恵みの雨なのでしょう、木々の緑も草花も、なにより、田植えが終わった田んぼの緑は美しく、この国の平和の象徴のように私は感じております。
 そして、7月を迎えもうすぐ夏!本番ですね。子どもさん達は先月の運動会を経て、少し成長してくれたように感じます。目標に向かい、自分だけでなく友達と一緒にやり遂げたことや、おうちの方々や先生達に「頑張ったね!」と褒められたことが、心のスイッチを一つ入れてくれたように思うのです。そのように感じていた昨日、「茶の本」(岡倉天心 著)を紹介するチラシを戴いたのです。

 岡倉天心氏と言えば今の芸大の創設者で、日本の美術の復興に尽力を注がれた方である。其の方がお茶(茶道)について・・・と、私は少し不思議な気持ちで読み出しました。すると、一つのフレーズに心が揺れたのです。

 茶道は本質的に、「不完全なもの」を崇拝する。それは私たちが、「完成されないもの」と自覚しているこの人生において、それでも、「実現可能な何かを成し遂げよう」と儚い(はかない)試みを続ける存在だからなのである。

子どもさん達の事を私たちは、「まだ成育していない存在」として見ていて、実現可能な何かを成し遂げさせようと、運動会と言う目標を持たせて取り組ませてきたのですが、それをさせている私達もまた、完成(成育)されない存在であることを自覚していたのだろうかと・・・。

 でも、確かに言えるのは、子どもさん達が、毎日少しずつ行進ができるようになる、踊りが踊れるようになる、組体操が成功するようになる、という姿に私達の心は嬉しくなり、「ああ、成長している」と、子どもの姿を通して私たちも成長させてもらっていたという実感があったのです。(子どもさん達がどうやったら理解してくれるか、どうやったらスムースに行進ができるのかを、毎日考え考えやってきたので)そのこと(運動会への取り組み)自体が私たちの儚い試みの一つであったのですね。
 心のスイッチは、私たちの心にもあり、子どもさん達が一つ押すごとに、私たちのスイッチも押されていけるのではないかと思うのです。それは、お父さん、お母さんが親として、いえ、人間としての心のスイッチなのではないでしょうか。

 最後のフレーズでは、
彼らは(茶人)私達に、単純さに対する自然な愛情を強調し、謙虚さへの美徳を自ら示したのである。そして、彼らの茶に対する教えは、私達の生活の中へ溶け込んでいった。


 園長室の窓の外では、電線と園舎の間を小さなツバメたちが羽をバタバタとさせながら飛ぶ練習をしています。そのわきで、少し大きめの親鳥でしょうか、スーイスーイと軽やかに飛んで見せています。ああここにも儚い試みがあるなぁ~ 

                                 N・O(文責)

 
  2015.05.31  
 

ランチタイムLetter 6月号

 
 

 今年度から「新子ども・子育て支援制度」がスタートし、いよいよ国が、少子化や地方の過疎化、人口減少問題に本腰を入れて取り組んでくれるのではないかと期待して、「保育の夜明け」を迎えております。しかし、全国の混乱は6月になっても続いていると聞こえてまいります。やはり、本気で取り組むという志を、国と地域と現場が共有し取り組まなければ、新たな一歩は踏み出せないのだなと思うところです。


 そのような中、私は上京し色々な会議に参加させていただくことも増えたので、東京や京都の美術館や博物館に足を運ぶことができるようになったことは、とても嬉しい事です。先日も名古屋で開催された保育学会にポスター発表させていただいた帰り、知人から京都の「近藤高弘先生」(陶芸アート作家)の工房に行くが、一緒に来てみないかとのお誘いに、一も二もなくついて行くことにしました。


 山科の緑深い閑静な住宅街の一角にその工房はありました。春の雨に庭の草花が清々しく、とりわけアザミの花が凛として迎えてくれました。初めてお目にかかる近藤先生は、以前「あかさかルンビニー」においでいただいた、日本画家の『千住 博先生』にどことなく似ていらっしゃる優しいお顔だちの方でした。きらきら光る瞳が優しいながらも時折、鋭くさすように芸術家の眼差しを感じる方でした。私は陶芸のことも芸術の事も深く勉強したわけで有りませんので、少し緊張してお話を聞いておりました。
 すると先生は、「僕は本物の陶芸家とは言えない。陶芸を使った表現者なのです」とおっしゃるのです。
「本物の陶芸家とは?」とつい聞いてしまった私に「土を掘り(陶土)、土をこね、窯を作り、薪を割り、火を入れ、釉薬を配合し、作品を作る人」とおっしゃるのです。

 今の時代、窯は電機やガスであって、薪での登り窯はほとんどないし、有田でも陶土は天草あたりから調達され、一つの焼き物を最初から一貫してご自分で作られる方は少ないのではないでしょうか。だから「本物」とご自分は言えないとおっしゃるのです。
 でも、先生の作品を見せていただくと、ガラスの箱(墨流しの様な模様で、ご自分で作られた物)に卵型の美しい焼き物は入っているオブジェやご自身の等身大の座禅をしているオブジェ、中でも、美しいお茶碗の外側に銀の水滴のような雫がついている器など、どれも『すごい!』と感動してしまう、本物の芸術家でいらっしゃるのです。なのに、あえて「本物の陶芸家ではない」とおっしゃられるところに、「本物」というに値することがいかに深く、厳しいものであるかをお教え頂いた様に思えました。

 そして、子どもたちを前にし、「本物の保育者とは・・・」と考えていると、はっと気づいたのです。こどもにとって親は「本物の親」になれること、どの親でも「本物の親」に値することができるという事。何もできなかった赤ちゃんに乳を与え、生活と言う環境を与え、教育という体験をさせ、1日1日と手間をかけ育んでいく行為や、慈しみ、無上の愛で包み込む心情で子育てを行う親は、「本物」と言うに値するのではないでしょうか。
 しかし、「本物の陶芸家」になるように「本物の親」になるためには、長く、厳しい時間がかかるのですよね。

 皆さんとともに歩きたいです、その道を・・・

                                  N・O(文責)

 
  2015.05.01  
 

ランチタイムLetter 5月号

 
 

 木々の新緑が生き生きと輝く5月がやってきました。入園・進級式から1ヶ月が経とうとしております。こどもさん達も少しずつ新しいお友達や先生たちにも慣れて、お母さんを恋しがって泣いている子も少なくなってまいりました。でも、連休でお家にいる時間が長くなってまた逆戻りになってしまうこともあるかと思いますが、子ども達は4月の経験から、立ち直るのがきっと違ってくることでしょう、お父さんお母さんの温かな笑顔と励ましが一番の薬かと思いますので、どうぞ、笑顔で送り出してくださいね。


 さて、先月の終わりに起こりましたネパールの地震で、多くの命が失われてしまい、また、今も家を失ってしまった方々は、テントや屋外で生活をされていると聞きます。私達日本は、先の震災で多くの国々から温かい援助をいただき今日まで来ております。今度は私達ができる援助を皆で協力し行うことが必要ではないでしょうか、ルンビニーの名前はネパールの花園の名前であることもあり、園でも募金をしていこうと思いますので、どうぞ、皆様ご協力をお願い致します。


 さて、今月はそのネパールの近くの国ミャンマーについてお話したいと思います。


 私は、今年度から国の「子ども子育て会議」のメンバーに選出され、上京する回数が増えてまいります。先月も3回上京し、飛行機で向かったのですが、その時いつも機内誌を読むことにしております。先月はミャンマーの特集でした。ミャンマーは仏教国で、「功徳」について書いてありました。私が読んでいくと「功徳」とは、無償の施しを行う事であるように思えました。ミャンマーは今でも御坊様が修行を行い、毎朝「托鉢」に街を回られているのです。
 ある女性は毎朝、100人分以上の朝食を用意し、御坊様に差し上げている。それも先代のお母さんから数十年にわたり続いているのだそうです。その女性が言われるのは「お金や名誉はあの世には持っていけないけど、現世で行った功徳はちゃんと次の世にまで持っていけるのよ」と。形や物質ではない、見えない善行は仏さまがちゃんと見てくださっているのだから、と云う事なのかしら・・・と、思ったのです。
 特に私が感銘を受けたのは、若い新婚の夫婦が結婚式を老人ホームで行ったという記事です。日本ではありえないことですね。ホームの老人はこの夫婦とは縁もゆかりもない方々ばかりなのに、二人はその老人の皆さんにご馳走をふるまい、ホームに寄付を行う(借り賃として)。もちろん二人の親戚や友人たちも一緒にお祝いをするのだそうです。二人は自分たちでできる「功徳」の形を結婚式にしたというのです。


 私も仏教徒なのですが、もちろん宗派が違って「功徳」ということをあまり聞いたことはなかったのですが、ボランティアや今度の震災で何ができるかということを考えた場合、 私達にできる「功徳」、打算や見返りを求めない心の有り様を私は深く考える事となりました。

                                   N・O(文責)

 
  2015.03.04  
 

ランチタイムLetter 3月号

 
 

 春は名のみの風の寒さよ~♪と歌われるように、寒暖の差が激しい中にも、どこか春の気配が漂ってまいりました。3月1日にルンビニー幼稚園・平安保育園・あかさかルンビニー園の周年式典を、沢山のお客様方や年長児の保護者の皆様方の温かな思いの中で執り行うことができました。
 60年、45年、15年とこの3園が年を重ねていけたのも、素晴らしい子ども達と保護者の皆様方が、私たちの幼児教育と養護保育に共感し、日々を共に豊かに重ねていただいた賜物と思います。ここに、心からの感謝を込めて御礼申し上げます。


 さて、3月は私たちにとっても、また、年長のふじ組さんにとっても卒園という、一つの節目がやってまいります。赤ちゃんの頃からずっとこの園で一緒に過ごしたこの子も、3歳で初めてお母さんと一緒に登園してくれたあの子も、小学校へと旅立つ日がやってくるのです。とても寂しくもあり、「おめでとう、頑張ってね」と笑顔で祝福してあげなければという気持ちが交差し、正直にいうと少し複雑な気持ちです。
 でも、この子らの未来はこの園から一歩踏み出すところから始まるのですから、力強く背中を押してあげねばなりませんね。きっと、お父さんやお母さんも同じお気持ちではありませんか。

 そのような気持ちの中、まだ13歳(中1)の少年が、同じような十代の子どもに殺害されるというニュースが世間を騒がせていることに、心が痛みます。

 以前にも子どもが子どもを殺害することについて、一昔前まではあり得ない事だったとこの紙面でもお伝えしたように記憶していますが、私はこの近年増加しているのではないかと感じております。こども達の心の闇は一層深く深刻になっているのではないでしょうか。このようなニュースが流れるたびに、多くの人たちは、「親は何をしていたのか」「学校は何をしていたのか」と声を上げられ、責任の所在を追究しようとされますが、子ども達の心の闇まで親であっても探ることはできないと思うのです。

 と、同時にこの闇が急に子ども達の心を覆うのではないと思うのです。


 記念式典の記念講演は「木村まさ子さん(木村拓哉さんのお母さん)」にお願いして、今年度の園のテーマ、「伝える」を踏まえた、「伝えたい 子守唄のぬくもり うれしいことばに 育まれて」という演題でお話ししていただきました。

 子育てをしているお母さんこそが、『自分を好きになり、自分を褒めて、「私って素敵」という気持ち(自己肯定感)を持つことがとっても大事ですよ』と、おっしゃっていました。誰だって親のベテランなんて初めからなれませんもの。初めて子どもを授かり、子どもの成長と共に親としての年齢を重ねていくのです。自己肯定感、自尊感情とも言いますが、「自分は自分でいいのだ、素敵なんだ」と思いながら、この懐の、私のぬくもり(体温)で、我が子と共に育とうとする姿の中には、きっと闇は広がらないのではないでしょうか。


「こどもは、抱かれて、抱かれて、抱かれて、人になる」

                                  N・O(文責)

 
  2015.02.01  
 

ランチタイムLetter 2月号

 
 

 インフルエンザの猛威が日本中を脅かしている中、有田では鳥インフルエンザまで発生し、養鶏事業者ばかりでなく町民がとても心配しておりましたが、多くの方々のご協力と迅速な対応のお蔭でなんとか広がらずに済みそうです。先日県庁のこども課に伺った際に、「私たちも応援に行きました」ということで、県庁職員が100人以上、また、近隣の伊万里市や武雄市からも100人以上、自衛隊・農協関係者などからも数百人もの方々が集結し、夜通し2日間での収束に力をお貸しいただいたと聞いております。本当にありがたいことだと感謝しています。

 数万羽の鶏の命を奪うことは耐え難いことだったことでしょうが、この数万羽の命が他の多くの命が生きるために犠牲になったことは間違いないことです。私はその仕方のないことである事実を、もしも、此れが人間であったならと考えてしまいます。人間であったなら・・・きっとまた違う形がとられたのかもわかりません。多くの犠牲になった鳥たちに、「今度生まれるときは人間になって生まれておいでね」と心の中でつぶやいています。


 そして、ここ数週間、ニュースや新聞紙面で取り上げられている「イスラム国」による人質事件や、フランスで起こった新聞社襲撃事件に「人の命」ということの重さを感じずにはいられません。鳥たちに来世は人間として生まれておいでと思うのは、人であれば交通事故にあったら、動物のように道端に放置されることなどない(日本では)、それほど大切であり大変な重みがあると考えるからです。それなのに、なにか簡単に要求が満たされなかったからとか、プライドを傷つけられたからなどの理由でTVの画面や新聞紙面では鳥と同じように奪われている「人の命」。もちろん私は自分たちが尊敬している人を侮辱するような発言をする、侮辱する人の言論の自由なんてありえないと考えるのですが、だからと言ってその人の命を奪っていいのかとは思いません。


 今月の私たちの園の仏教的目標は「和合」です。人は生まれた国、育てられた環境、その国の文化、民族、習慣や常識解釈など、たった1つのこの地球という星の中にありながら様々な違いがあるのです。もっと細かく言えば、同じ国の同じように育った人でも、隣にいる人と私では考え方や想い信じていることは違うのです。尊敬している人だって違うかもしれませんね。そのことを自分の思うまま、自分の考えを押し付けて、「こうであらねばならない」と理不尽な発言や行動を起こすことは争いを起こすばかりです。

 「和合」とは、お互いの違いを受け入れ認め、お互いの立場に立って考え、自分の考えを述べながらわかちあう事だと私は解釈しています。だから、先進国が正しいとか民主主義だから正しいとか言うのではなく、それぞれの文化や考えを理解しようとし、そのうえで人としてどうなのかという視点で自分の意見を述べていけばと思うのです。

 でも、人間というものはそのように言うと「きれいごと」と言われて馬鹿にされます。
「きれいごと」を馬鹿にされるからと言って言わなくなると、きれいごとという理想はあきらめられて、理不尽がまかり通ってしまいます。だから、どんなに言われようと声にだしきれいごとを言い続けましょう。声にだし言い続けるときっとかなうはずです。

                                  N・O(文責)

 
  2015.01.06  
 

ランチタイムLetter 1月号

 
 

 明けましておめでとうございます。本年も皆様、どうぞよろしくお願いいたします。


 新しい年が明けました、平成27年は「こども子育て新制度」のスタートの年になります。有田の小さな園ルンビニーが佐賀県特区となり、幼保の壁を越えた未来の形を日本で初めて行って16年が経ち、法律ができ、いよいよ全国で取り組まれようとする年でもあります。

 日本中の子ども達が、この国の子どもとして平等に幼児教育を受ける権利が認められた記念の年になり、この志が揺らがぬように、私たちは頑張らねばと強く思う新年になりました。どうぞこれからも皆様方のお力が必要です、変わらぬご理解とご協力をお願いいたします。


 さて、新年の決意も述べたところで、今回は子ども達と向き合う保育者として、年末のTVや新聞で見聞きし、感じたことをお話しさせていただきたいと思います。


 みなさんもよくご存じの、ディズニー「アナと雪の女王」を制作したジョン・ラセター氏のドキュメント番組を見ておりました。彼はディズニーに憧れ、アニメの制作として入社するのです。彼はその後コンピュータ―の普及開発に伴い、従来の手法ではなくCGによる作品を進めようとし、新しい試みに反対する会社(ディズニー)から解雇されるのですが、立ち上げた会社ピクサーで「トイ・ストーリー」を作って、世界中で爆発的なヒットとなり、数々のアカデミー賞に輝くのです。彼のオフィスのケースの中には何本ものトロフィーが飾られ、その一番端に同じように飾られている薄汚れたウッディの人形があるのです。ウッディとは「トイ・ストーリー」の主人公カウボーイの人形なのです。


 ジョン氏はその汚れた人形を手にして、こう言うのです。『僕はこのアカデミー賞のトロフィーより、このアンディの人形の方が誇らしいんだ』『だって見てごらん、こんなに汚れるまで一生懸命遊んでくれたんだよ、この人形の持ち主は、大きくなってどうしても捨てられなくて、僕のところに送ってきたのさ。それほど大事にしてくれたんだよ』 子どもがこの人形で遊びこむ姿こそが、彼の誇りであり勲章なのでしょう。


 また、新聞のスポーツ欄のコラムに松井秀樹選手の話がありました。キャッチボールのやり方に対する彼のコメントです。『キャッチボールで大切な事とはなんですか?』と問う記者に松井氏は、『相手にとりやすいボールを投げてやることです』と答えられ、また、『相手が失敗しても、それを感じさせないように受け取る事』と付け加えられたのです。相手の投げ損じたボールを、そう感じさせないように受け取る事は、大変な技術を要することでしょうが、その技術をしっかり身に着けることが大事だということなのでしょう。

 

 この2つの事から、私はわが身に置き換え、保育者として子どもと向き合うときに、どんなに高い名声や、人気のある保育より(評判の○○式保育)、子どもがじっくり遊びこむ姿にこそ真の幼児教育が有る事、また、子どもが失敗したと気づかないように、いえ、失敗ではなく成功に導く一つの過程で有る事だということをわからせるように、私達保育者は実践や研究を積み重ねなければならない事をおもうのです。


                                N・O(文責)

 
  2014.10.29  
 

ランチライムレター 10月号

 
 

 黄金色の秋風が心地よく、ついつい、うとうとしてしまう午後のひと時に、こちらもついついおせんべいに手が伸びてしまう私なのですが、子ども達は最高の季節の中で、素敵なバックを作って、小さい秋を集めに連日お散歩に出かけているようです。

 先日も恒例の、ふじ組さんと保護者の皆様方のお力を借りて、稲刈りを行いました。棚田から町を見下ろしながら食べる塩むすびのおいしかったこと!!新米を塩とお漬物だけで食べる(お釜で炊きました)のですが、毎年、子ども達も大人もおいしくて5~6個軽く食べてしまいますよ。是非、来年は皆様ご参加くださいね。


 さて、今回は「素敵な姿」についてお話ししたいと思います。
 秋は実習生が園に沢山来てくれて、実習演習を行うのですが、それは年中組の研究授業の時でした。クラスのみんなでジャンケンをし、負けた人が勝った人の後ろにくっついて電車を作っていくゲームをしておりました。4歳~5歳になる年齢でも、ルールは理解できているようでした。よく見ていると、ジャンケンをしていて、遅く出したり、パーかチョキかよくわからないように『じわーっ』と出したりする子が数人いるのです。二人でジャンケンをしているけど、どう見ても遅だしして勝っているのに、負けた子はニコニコしてその勝った子の後ろにつくのです。そのような場面が何度も見られ、ひとりではなくそのクラスの子どもがほとんど、そうするのです。大人でも子どもでも多くの人は「遅だしじゃないか―」と意見の一つでも言うところですが・・・ニコニコしているのです。そればかりか、多分スポーツの試合で見たのか、一番勝った人を胴上げするような格好をし、とても喜びあうのです。子ども達にとって今何が大事なのかをみんなが知っている、更に、人の喜びを自分と同じように感じることができる姿に「素敵な姿」を見たのでした。

 また、我が園の給食後の午後の時間は、子供たちにとって一番自由に遊べる時間になり、この日もみんなが、戸外や各部屋で遊んでいました。園の真ん中にあるホールには、朝と帰りの時間に仏様が扉を開け園児を迎えてくれるのですが、午後のこの時間は扉が閉まっています。その扉の前にほのかちゃんが佇んでいるのを、研修に来てくださっていた大阪の村田先生が見ていて、「先生、ほら、なんてきれいな姿でしょう」と私に声をかけられました。その姿は、胸の前で小さな手を合わせ、顔を伏して目を閉じ、じっと佇んでいる姿でした。ホールは少し薄暗く、高い窓から光が差し込み、その小さな姿にスポットライトが当たっているようにも見えました。ほのかちゃんの全身を光が包んでいるようにも一瞬見えて、本当に「素敵な姿」でした。しばらくして、ふと、こちらに気付いたほのかちゃんは、にこにこ笑顔でこちらへ来てくれました。「ほのかちゃん、何していたの?」と尋ねると、「仏様とお話していたの」と答えが返ってきました。「どんなお話し?」とまた尋ねると「ないしょー」といたずらっぽい笑顔で走って行ってしまいました。


 どんなに仏教を勉強した住職でも、素直に仏様とお話してたと言えるほどの人はいないでしょう。私は、どんなにえらいお坊さんより、このほのかちゃんの姿に仏心を見るのです。

                                N・O (文責)

 
  2014.08.01  
 

ランチライムレター 8月号

 
 

今年の夏も暑い日が続きますね。ベランダでは毎日のように水遊びが行われ、蝉たちの大合唱に負けないくらいの歓声が響いております。蝉やこども達に負けないように、皆様夏バテや熱中症にはくれぐれも気を付けてください。


さて、このように暑い夏の中で、またしても心が凍ってしまうような事件がありました。

私たちの町のすぐ隣の市、佐世保市の女子高校生が同級生を殺害し遺体を傷つけるという、猟奇的な事件です。佐世保市では10年前にも、小学6年生女児が同級生を刃物で傷つけ殺害してしまうという事件があり、市の教育関係者は10年間、市をあげて「心の教育」に取り組んできた内容を全否定されたように思われ、大変落胆されていると聞いております。

今回の佐世保市の事件の背景には、家庭的に、また、彼女の成育経緯に色々な問題があったことと思うときに、一概に「何が悪かった」とか、「どうすればよかったのに」、と言うことはできないのですが、私たちは子供が起こした事件として、他人事ではなく、私たちで何ができるのか、子ども達とどのようにアタッチメント(愛着形成)をつないでいけば良いのかを考え、今、目の前にいるこども達と改めて向き合わなければならないと思います。

 

佐世保市の教育関係の方々は、多分、必死で取り組みをなされていたと思うのですが、10年間やったから、20年間やったからではなく、市民、いえ、国民一人ひとりの生活の中で育む、心情、いえ、生活そのものの在り方かもしれませんが、それを見つめ、見直すことが必要なのではないかと思うのです。

学校の児童、生徒にだけ道徳の様な授業を増やすのではなく、家庭の中で「いのち」について話す、と、言うと、とても重く感じるのですが、夕食の時にニュースで流れてくる、世界中で起こっている戦争報道の中で、多くの命が失われていることを「どうしたら、このような悲惨な戦争をやめてくれるのかな」や、「死」ということに対して子どもにはタブーだという認識を改め、どのような人にも「いのち」のいとなみがあり、その「いのち」の尊厳はだれも犯してはならないものであるということについて、何気なく話していることがとても大切なことだと思うのです。

生活の中に「いのち」が息づく、生活の中に「いのち」と寄り添う場面をたくさん創ることで、子どもも大人も、互いがその生活経験のなかで「いのち」について向き合い、言葉にしてみることが必要ではないかと思うのです。

 

今回も、「伝える」・・・・形のないものを伝える、心を伝える、本当に難しいことですが、「どうせ、○○だから・・」ではなく、「どうしても、伝えたい」という気持ちが最も必要な事かもわかりませんね。

                                 N・O(文責)

 

*9月13日(土)は 夕涼み大会を予定しております。

  

準備等がありますので、その日の午後の居残りを、午後2時までにしていただきたいと考えております。でも、もし、ご都合のつかない方は遠慮なく担任にご連絡ください。ルンビニー幼稚園の方でお預かりできると思います。

 

 
  2014.06.30  
 

ランチライムレター 7月号

 
 

 先日のオープン保育の際に本園の駐車場でふじ組さんのお母様にお会いしたとき、 「ランチタイム、毎月楽しみにしていますよ」と、声をかけていただきました。 私の独りよがりなつぶやきに共感していただいていると思うととても嬉しくなり、色々心に浮かぶことを正直に書いていれば、わかってくださる方々が応援してくださっているのだということを知りました。それと同時に、言葉で伝えてくださると、うれしいことがすぐに心に届くということを感じました。本当にありがとうございました。私も、言葉にして皆様方にお届けしなければと思いました。

 さて今回は、6月に出会った講演でのお話と、5泊6日でフランス・イタリアの施設を視察して思ったことを書いてみたいと思います。

 「根拠のない信頼」

 この話は、慶応義塾大学の駒村教授(経済学者)の講演で、「信頼度の高い国民性が経済を豊かにする」ということから話されました。その例として皇帝ペンギンの子育てを挙げられました。南極の厳しい自然環境の中で、オスのペンギンたちは子供を足と腹の中に挟み寒さから守るそうです。さらに集団が一つの大きな円陣となり、互いの体温を頼りに生きているといいます。でも、円の一番外側にいるペンギンと円の中心にいるペンギンとでは、温度の差がとても違うのですが、ペンギンたちは一羽(一頭?)も命を落とさないのだそうです。それは内側と外側の立ち位置を自分たちでローテーションしているからだそうです。此れは必ず内側のものがしばらくすると、外側と変わってくれるという「根拠のない信頼」関係が築かれているからだそうです。もし、此の信頼が崩れたら、たちまちこの一群は自然の猛威にさらされて一羽も残らないでしょう。 言葉にしなくても伝わる信頼関係、打算や駆け引きのない信頼関係こそが、子育てには必要であるとおっしゃったのです。そして、それは親だけではなく地域力でこそ発揮されるのだと私は思うのです。

 「レッジョエミリア幼児教育」

 私はイタリア・レッジョエミリアのメソッド(幼児教育法)にとても感銘を受け、そのような幼児教育をやろうと職員と共に、日々努力を続けています。今回の視察で2回目なのですが、特に私の心に浮かんだのは、恥ずかしさと不甲斐なさでした。というのも、私は美術教育(造形教育)という枠組みでこのメソッドをとらえていたということを痛感したのです。もちろん美しい絵や作品にあふれた園だったのですが、それだけではなくもっと奥の深い教育だったのです。こども達の思いをどのように引出し、具象化していくためのプロセスや目標が、一人一人の子ども達の記録となっていること。さらに、そのプロセスのなかで、先生として何をこの子に託したいのかが、明確に掲げて有る事。私がやっていたのは、色々な素材をこども達に提供することで、興味関心を引出し、それが作品になる事だけだったように思えて、恥ずかしくなりました。

 レッジョが取り組む幼児教育の真髄にもっと、もっと、実践を通して近づけたなら、私たちの園の子ども達は、もっと、もっと、幸せな幼児期を過ごせるのではないかと思うのです。頑張らなくっちゃ!!

                                 N・O(文責)

 

 
  2014.05.30  
 

ランチライムレター 6月号

 
 

 日中は、夏日のように気温が上がり、このままいくと真夏はどうなる事やらと心配になります。それに加えてPM2.5や光化学スモッグの警報もでていて、のどに違和感を訴える子どもさんも多いようです。私もここのところ体調が悪いですね。誰ですかー「太りすぎ!」って言っているのはー!!


 さて、5月は色々な行事が沢山あって、子ども達も、また、私たちにとっても感じることは多かったのではないかと思います。
 ダービースクールのお友達がたくさん来てくれたこと!両国の子ども達は、言葉は通じなくても仲良く遊び、仲良く食事をしていましたよ。その様子を見ていると、クリミアとロシアの問題が欧米諸国に広がっていることや、アジアの海では中国とアセアン諸国との衝突、日本と中国・韓国の問題など、この頃、急に世界情勢が衝突してしまいそうな気配が漂っていたので、子ども達が平和の梯となるのではないかと思いました。
 ダービースクールには、国籍はアメリカですが、黒人・白人・黄色人など様々な子供たちがいて、どの子ともルンビニーの子ども達はニコニコ笑顔で手をつなぎ、滑り台やブランコ遊びに夢中でした。大人の利害関係や優劣関係など、子どもの世界には無縁で有る事に、私達大人は見習わなければなりませんね。


 21日は降誕会(親鸞様の誕生日)で、年長組は3園揃って、本堂にお参りに来ていらっしゃる方々と交流し、一緒にお祝いするイベントを行っています。
 いつものように平安保育園は親鸞様の物語を暗誦し、両ルンビニーは金子みすゞさんの詩を暗唱し歌いました。私は特に今年のテーマ「伝える」ということで、幼稚園・保育園がこのお寺をもとに誕生したかという話を伝えたかったので、「祖父が1台のオルガンを本堂での映写会のイベントをして購入し、日曜学校を開き、それが、父母の時代に幼稚園・保育園になり、今度はさらに進化して、幼保一体の認定こども園になったこと」それは、祖父が「幼い子供たちに仏様のお話を通し、心豊かになるように」という思いがつながって今日に至ったのではないでしょうかと話しました。


 さらに、750年からつながった、親鸞様の教えである、僧侶も男も女も子供も、全ての人たちとともに仏様のお話を聞くことに於いて、平等であるという、御教えが、幼稚園も保育園も子供たちの豊かな育ちを育むためにおいて平等であるという理念から、すべての子どもが幸せになる制度として認定こども園がこの園から立ち上がったことをおもうとき、何百年もの間、思いはつながっているのだとしみじみ思いました。
 その話をさせていただいた後、私が小さいころ降誕会に本堂で耳にしていた歌、「そよかぜふいて~♪」と「しんらんさま」の歌を歌いだすと、本堂にお座りになっていたおばあさん達が、口々にその歌を口ずさみ、合唱がおこりました。

 伝えたい思い!伝えたいことは、その思いが人々の心に深くしみこんでこそ、何百年、何千年と伝わっていくのではないでしょうか。 
                                  N・O(文責)

 

 
  2014.05.19  
 

ランチライムレター 5月号

 
 

 爽やかな、そして新緑の美しい5月になりました。
 有田町は400年程続く陶器市で連休は、大変なにぎわいを見せていました。


 そのような中、連日ニュースや新聞紙面では、お隣の国、韓国の船の事故が取り上げられております。多くの犠牲者のほとんどが高校生ということも、子を持つ親の立場としては、他人事ではなく感じて、第一報が入った時から、そのニュースを聞くたびに涙がにじんでまいります。事故の原因や救助の不手際など、日が経つにつれ明らかになり、日を追うごとに憤りと、人としてどうあるべきかという思いを自分自身に重ねてしまいます。もし、私が船長だったら、もし私が高校生だったら、もし私が保護者だったらと考えてしまいます。


 犠牲にあわれた高校生の保護者の方々が、船が沈む間際まで携帯電話で話し、メールを交換していたとのことで、たとえば、交通事故で瞬間に無くなる命と違い、じわじわと命がなくなる寸前まで話しながらどうすることもできない状況に、心を失うことでしょう。どうすることもできない現実の前で、私たちは何をすべきなのか・・・諦められない思いをどこへぶつけたらいいのでしょう。答えることができません。
 また、あの船の責任者は船長です。その責任者の判断と行動が、大きく事を左右するということを今回ほど感じたことはありません。責任者として最後まであきらめずに責任を全うすることこそが責任者の使命なのですが・・・。どのような場面であってもそのことが揺らいではならないのです。責任者としての能力の合否は船長ばかりではなく、海上救護隊、韓国政府にも当てはまるのではないでしょうか。どんなに嫌いな相手であったとしても、多くの命の前では好き嫌いなど言っている場合でないこと、国や警察の面子で尊い命をなくしてはならないことを責任ある立ち場のものは肝に銘じておかねばならないと感じました。

 幼稚園や保育園の責任者は園長です。そして、子どもの責任者はお父さん、お母さんなのですから、一緒にもう一度、何をしなければならないか、何ができるのか、そして、どのように判断していかねばならないのか・・・・・その重さゆえにやりがいもあるはずですね。

 尊い命をかけて教えていただいた、尊い教えを心に刻んで行きたいと思います。

                                  N・O(文責)

 

 
  2014.03.03  
 

ランチライムレター 3月号

 
 

 梅の花や水仙の花々が町中に咲き、春がもうそこまで来ていることを教えてくれているようです。今年度もいよいよこのひと月を残すこととなりましたね。ふじ組のみんなにとっては、この園で過ごす最後の月となり、一年生に向けて希望と、そして少しの不安な心が揺れ動く日々であることでしょう。今月は、2月に行われたソチオリンピックでの、数々の感動のドラマから思うことを綴りたいと思います。

 元来、私はスポーツがとても好きで、オリンピックなどの色々な競技は、リアルタイムで見たいと思い明日の仕事のことを忘れついついテレビにくぎ付けになってしまします。(なぜかこんな時は眠くならないのですから・・)特にフィギアスケートは大好きで、男女とも観戦しておりました。
 そんな中、羽生選手のフリーの演技は最初にジャンプで転倒した時に、私は「もうだめだ!」と落胆していたのですが、次のチャン選手が本来の力を発揮できずに得点を伸ばせず、羽生選手は金メダルに輝くことになりました。また、女子の浅田選手の1日目の演技にこれもまた「もうだめだ!」と思い、次の日のフリーは見ないでおこうかと思ったのですが、彼女のこれまで私たちに与え続けてくれた感動のことをおもい、やっぱり最後まで見なければと眠くもあり、また、あまり期待もせずに見ておりました。しかし、演技が始まると寝転んでみていたのが、きちんと座り直し、眠かった両目が大きく見開き、最後には涙がでてきてしまいました。「もうだめだ!」という思いは、私なんかより本人のほうがはるかに大きく胸にのしかかっていたことと思います。でも、彼女はたった1日でその思いを払拭し、完璧な演技を見せてくれたのでした。

 「もうだめだ!」から「いや、もう一度」という二つの言葉の間には、とてつもない大きなエネルギーが必要です。そして、その二つの言葉の間のエネルギーは、だれも手を貸すことができず、自分自身の力でしか起こせないエネルギーです。 ふじ組さんたちが卒園式で歌う歌の中に、「空より高く」という歌があり、その歌詞の中にも同じような言葉があります。

     『♪もうだめだなんて、諦めないで、涙を拭いて、歌ってごらん♪』

 浅田選手の演技は、「いや、もう一度」の力が、私にも、子ども達にも、そして世界中の人の中にも、誰にでもあるんだよということを信じてみようと思わせるものでした。さらに言えば、そのエネルギーを自分自身が信じられるためには、もちろん、自分自身の努力も必要なのですが、「あなたを信じている」という大きな思いをかけてくれる人々がいてくれることも必要なのではないでしょうか。きっと、日本中の人たちが、浅田選手の演技が始まる前に、「真央さんの力を信じているよ」と思い、その思いと誰にも手を貸せないエネルギーとが融合し合って、あの記憶に残る素晴らしい演技となったのでしょう。

 私達大人も、大切な子供たちの成長に於いて、手は貸せないが、信じているよという熱い思いを、いつも、いつも、送り続けられる親であり、また、大人でありたいと思うのです。

                                  N・O(文責)

 

 
  2014.02.04  
 

ランチライムレター 2月号

 
 

 ついこの前まで、お屠蘇気分で「あけましておめでとう」なんて言っていたのに、もう豆まきをする「立春」になりました。例年ですと春の声は聴けども、風はまだ寒いと、歌にも歌われるように寒い日が続くのですが、今年は気温が20度にも届きそうなくらい、暖かくなりました。しかし、まだまだ油断してはいけませんね、インフルエンザも各地で猛威を振るっておりますので、皆様気を付けましょうね。


 さて、今月は先日、私達のそれぞれの園で開催されました「造形展」のお礼を兼ねて、また、先週から伝えられている、日本にとっての朗報を重ねて、私の思うことを綴りたいと思います。

 各園のこども達が、毎日の遊びの中から作り出す「素敵な作品」に、毎年のように私は驚かされ、「この子にこんな発想が、あの子にこんな力が・・」と思わずにはいられません。そして、今年も佐賀市の鍋島幼稚園、保育園の先生方が大勢で見学に来られ、「毎年、わくわくしますね。とっても楽しくって・・」と言っていただき、また、講演をお願いした前村先生も「こども達の生き生きした姿が、作品の中から出ているし、展示の仕方が立体的で実に面白い」と評価してくださいました。これもこども達の力を信じきる、保育者と保護者の方々の支えがあればこそだと思います。

「こどもの力を信じきる」、一言で言えば実に簡単なことなのですが、本当はとても大変なことだと、私は実践者として言いたいのです。

 先週、画期的な研究だと世界中から評価の賛辞を贈られた「新万能細胞」の発見者(チームリーダー)小保方さんは、2009年に研究内容を世界的有名な雑誌社から貶され、掲載を断られたそうです。そんな中、大変落ち込んでいた時に祖母が、「とにかく、一日一日、頑張りなさい」と言って、割烹着を送って下さったそうです。彼女はその割烹着を着て、「一生懸命に頑張っていたら、いつかきっと誰かが評価してくれる」と、研究をつづけ今日を迎えられました。きっと、割烹着に込められた、おばあ様の「あなたを信じぬく」という思いに包まれて毎日を送られたのでしょう。さらに、日本は女性の台頭を喜ばない国(これは私の偏見だと思う)でありながら、彼女の上司?先輩研究者の男性達が、「彼女の研究を信じやり遂げさせよう」と支えての快挙だったそうです。

 また、今朝は(2月3日)、バレエのローザンヌコンクールで日本の少年が優勝したニュースが流れました。バレエを続けるには、とてもお金がかかります(私も私の子も、幼いころ習っていたのでよくわかります)。この少年の様なレベルになると、私が想像する以上にかかることは確かなのですが、この少年のお母様は、「経済的にもいつこの子をやめさせようかと思っていたが、この子の力を信じ、また、この子の夢を支えることが生きがいになった」と、インタビューで答えていらっしゃいました。


 お二人とも、もちろん才能に恵まれて、並外れた努力家であることは確かなのですが、「その力を信じぬく」と支える人たちが周りにいらしたことが一番だったのではないでしょうか。この大変な「信じる力」こそが、こども達には必要ですね。 

                                  N・O(文責)

 
  2014.01.06  
 

ランチライムレター 1月号

 
 

 山々の木々が美しく色づき、秋が訪れたことを告げてくれたかと思ったら、 先日は、早くも山並がうっすらと白く輝き、冬の到来を教えてくれました。 秋はやっぱり、あっという間でしたね。皆さま方は今年の秋を楽しめましたか?

 さて、2013年も残り少なくなり、この1年間で私は何をやり、何を考えたのかなと、 思い返してみると、本当に慌ただしく、ただ前に前にと進まなければという思いだけできたようにも感じます。2017年から幼稚園・保育所・認定こども園の制度が変わるために、何度も文部省・厚労省・内閣府と話し合いを持つために上京し、現状の保育と養護、そして幼児教育について議論してまいりました。

 なんでこんな小さな町の園から?と、思われるかもしれませんが、ルンビニーは日本で最初の学校法人と社会福祉法人を合体した、乳幼児施設として国に認可を受けた園だから、今までやってきた園の状況で得られた、問題と課題を示し、新たな制度に反映していく為だったのです。私は子ども達の保育も養護も幼児教育も、どの施設でも一生懸命に取り組まれ、現場の先生達は本当に頑張っていると思っています。でも、法律上どうしても出来ないことが多くて、やりたくてもできない事がありました。さらに、全国の幼稚園団体や保育諸団体の皆さんの意見、子育てサークル団体、各地の行政の意見が、本当に色々と有ってまとまりません。従来からのやり方を変えていく事には、エネルギーが必要になるのですね。先月のこのコーナーでもお話ししましたが、
「伝統は革新の積み重ねで繋がっていく」事を皆さんが考えて下されば・・・

 先日BSテレビを観ていると、此の改革を中心となり進めていらした、村木政務官がこうおっしゃったのです。「色々な意見が出て、もう分からなくなるときは、原点に返るようにしています。」と、この制度の原点は何だったかな・・・「すべての子ども達の最善の幸せ」だったなーと思うとき、「最善の幸せ」、「すべての子ども達」とは、何だろう。

 私は、日本のどの地域の子ども達も、「根拠なき確信」を持てるような制度にすべきだと思うのです。「根拠なき確信」とは、子ども達は自分達にそそがれる親の愛を、疑うことなく、理由や理屈なく信じていると思うのです、それこそが「根拠なき確信」だと言えるのではないでしょうか。どの子も理由や理屈抜きで自分自身を信じられる保育、養護、幼児教育でなければなりません。それを施設と親、そして社会が支えていく制度が、今回の原点だと私は思います。


 それでは皆様、どうぞ、素敵な新年をお迎えください。
                                 N・O(文責) 

 

 
  2013.12.02  
 

ランチライムレター 12月号

 
 

 山々の木々が美しく色づき、秋が訪れたことを告げてくれたかと思ったら、 先日は、早くも山並がうっすらと白く輝き、冬の到来を教えてくれました。 秋はやっぱり、あっという間でしたね。皆さま方は今年の秋を楽しめましたか?  

 さて、2013年も残り少なくなり、この1年間で私は何をやり、何を考えたのかなと、 思い返してみると、本当に慌ただしく、ただ前に前にと進まなければという思いだけできたようにも感じます。2017年から幼稚園・保育所・認定こども園の制度が変わるために、何度も文部省・厚労省・内閣府と話し合いを持つために上京し、現状の保育と養護、そして幼児教育について議論してまいりました。

 なんでこんな小さな町の園から?と、思われるかもしれませんが、ルンビニーは日本で最初の学校法人と社会福祉法人を合体した、乳幼児施設として国に認可を受けた園だから、今までやってきた園の状況で得られた、問題と課題を示し、新たな制度に反映していく為だったのです。

 私は子ども達の保育も養護も幼児教育も、どの施設でも一生懸命に取り組まれ、現場の先生達は本当に頑張っていると思っています。でも、法律上どうしても出来ないことが多くて、やりたくてもできない事がありました。さらに、全国の幼稚園団体や保育諸団体の皆さんの意見、子育てサークル団体、各地の行政の意見が、本当に色々と有ってまとまりません。従来からのやり方を変えていく事には、エネルギーが必要になるのですね。先月のこのコーナーでもお話ししましたが、「伝統は革新の積み重ねで繋がっていく」事を皆さんが考えて下されば・・・・

 先日BSテレビを観ていると、此の改革を中心となり進めていらした、村木政務官がこうおっしゃったのです。「色々な意見が出て、もう分からなくなるときは、原点に返るようにしています。」 と、この制度の原点は何だったかな・・・「すべての子ども達の最善の幸せ」だったなーと思うとき、「最善の幸せ」、「すべての子ども達」とは、何だろう。

 私は、日本のどの地域の子ども達も、「根拠なき確信」を持てるような制度にすべきだと思うのです。「根拠なき確信」とは、子ども達は自分達にそそがれる親の愛を、疑うことなく、理由や理屈なく信じていると思うのです、それこそが「根拠なき確信」だと言えるのではないでしょうか。どの子も理由や理屈抜きで自分自身を信じられる保育、養護、幼児教育でなければなりません。それを施設と親、そして社会が支えていく制度が、今回の原点だと私は思います。

 それでは皆様、どうぞ、素敵な新年をお迎えください。

                                 N・O(文責) 

 
  2013.11.18  
 

ランチライムレター 11月号

 
 

 爽やかな秋の訪れに、なんだか朝から清々しい気持ちでいられるって幸せですね。 本当はもう少しお布団の中にいたい!って思っているのは私だけでしょうか?  

 こんな素敵な秋になると、私はふっと思うのです。多くの詩人や作家は晩年になると、「ふるさと」の情景を懐かしむ詩や文章を残されるようです。思いつくのは室生犀星の「ふるさとは、遠くにありておもうもの、そして、哀しくうたうもの」。だったでしょうか?記憶があいまいで間違っているかもわかりませんが・・

 私や皆さんの「ふるさと」は有田ですね(他の地からおいでになっている方もあるかと思いますが)、人はみんな「ふるさと」を持っているものです。
 「ふるさと」と言えば、先月行われました「有田くんち」を思います。旧有田地区では 「産業祭」といって上有田地区から4kmほどの沿道を、各地区の踊りこさん達が練り歩くパレードが行われるのですが、旧西有田地区(私の生まれた地)は、パレードはなくて地区ごとで浮立を奉納するところがあったり、曲川の四つ角でかごを売ったり小さな露店がでたり、鮒を売ったりしていたように記憶しています。鮒はくんちの料理として、昆布で巻いて煮ていたと思います。今ではあまり各家庭で料理を作るところは少なくなって鮒を売る露店はないかもしれませんね。(近年、私はその四つ角にいってないので・・)

 さて、今回私は有田のおくんちの風景の中に大切な思いを感じたので少しお話ししたいと思います。それは、パレードの最後を飾り当番区の行列が登場しました。最初に歴史絵巻の様に時代時代の衣装を身にまとった方々が歩いて見えました。本物の鎧や着物に目を奪われました。その中に有田の陶磁器文化を作った「李 三平」の姿もありました。 今年初めての試みだったそうですが、お考えいただいた方の思いがひしひしと伝わりました。私たちの故郷を支えてくださった先人達のことに想いをはせ、感謝することを示されたのではないでしょうか。

 「ふるさと」は、多くの人々が伝え、繋ぎ、今日まで残っていることに私たちは心を向けなければなりません。そして、未来につなげなければなりません。 踊りのパレードの中には、沢山の保護者の皆様方がおいででした、きっと子ども達はその姿の中に「ふるさと」の原風景を残してくれると思います。

                                  N・O(文責)

 
  2013.10.01  
 

ランチライムレター 10月号

 
 

 暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものですね。本当にお彼岸を迎えたころより、ぐっと朝晩が涼しくなり少し肌寒く感じる時もあるようですが、皆様方には夏の疲れなど出ていらっしゃいませんか?食欲の秋でもありますので、モリモリ食べて元気に過ごしましょうね。私はこれ以上モリモリ食べちゃうと・・・・  

 昨日(9/29)、私は「琉球王国エイサー佐賀支部7周年」のイベントに行って参りました。 このエイサーの団体は、ルンビニー幼稚園の職員がつくり、今では佐賀支部とまでなったものなので、我が園とは深い関係で結ばれているのです。舞台では、現職員や元職員、そして卒園生など知っている顔が見られ、皆、生き生きと輝いていました。いつ練習していたのかと思うくらい沢山のプログラムで、太鼓をかつぎながらぴょんぴょん、クルクルよく動くものだと感心しました。太鼓をたたいたり踊ったりしている人達が、楽しそうに生き生きとしている姿を見ていると、その一生懸命な気持ちが伝わり、こちらまで清々しい心持になるように感じたひと時でした。

 そして夜NKHの「日曜美術館」という番組をみておりましたら、『清六窯』の中村さんが日本伝統工芸展で東京都知事賞を受賞されたことを、色々な他の工芸での受賞者の作品と共に番組で紹介がありました。おもに若手の受賞者にスポットがあてられた番組構成でした。そのなかで、地味で根気や忍耐、苦悩の中から生まれる工芸の中に美が生まれるには、作者の中に「楽しい」という気持ちと「一生懸命」という気持ちがなければ生まれないのではないか、と教えられたような気がします。

 ある漆工芸の作者は若い女性でした。漆はかぶれたりするのに、彼女は素手で漆を塗り研いでいました。若い女性はネイルをし、すべすべする手にするためにケアを怠らないものなのに、彼女の手はどこか皮が剥げたような感じでした。また、中村さんはこの2年間余り原因不明の土アレルギーに侵され、手袋をしたりラップを巻いたりして作品作りをなさっていたが、やっとこの頃土に触れるようになり、「土に触れる喜びでこの作品ができました。」とおっしゃり、漆作者の女性も、「研ぎの作業にはいり、手で(粉)払いのけるときに出てくる偶然の美しさを見ると喜びでいっぱいになります」というようなコメントをおっしゃっていました。
「楽しい」から「一生懸命」になる、だからそこに美が生まれ、清々しい心が生まれる。

  昨日の2つの出会いで感じたことは、私たちの「保育」という仕事にも当てはまります。 子ども達は、「楽しい」から「一生懸命、無我夢中になり」、多くのことを学びます。私たちの仕事も、そういう気持ちを理解し、そして共有していかねばならないのでしょう。

                                  N・O(文責)

 
  2013.09.02  
 

ランチライムレター 9月号

 
 

 暑い暑い夏が終わりました。今年の夏は各地で記録的な暑さだったと伝えられましたが、 皆様がたはどのような夏をお過ごしになられたのでしょうか? 今回はこの夏の間に起こったことから、色々考えて見たことをお話させてください。

  「行為」ということについて考えたのです。今年の夏、1番有田が熱くなった日がありましたね。そうです、有田工業高校の野球部が甲子園に出場して1勝をあげてくれた日です(勿論2試合目もですが)。小さな町の小さな高校が100年余りかけて念願の甲子園へ行くということ、さらに、開幕第1試合を逆転で勝利するなんて、熱くなりますよね。子ども達が町民を甲子園まで連れて行ってくれましたし、諦めない心を「行為」で示してくれました。華やかなその場面での姿と共に、見えないところでささやかな一つの「行為」が、私の心を熱くしてくれました。

 それは、県大会優勝した次の日に卒園生の篠原君がお母さんと報告に来てくれました。高校生になって甲子園へ行く事の報告を幼稚園の私のところまで来てくれるなんて思いもかけず驚きました。「良かったね」というと彼はテレながら「補欠だけど」と言うのです。私は「レギュラーだろうが補欠だろうが関係ないよ、皆と3年間野球を続けたことが素敵な結果に繋がった事、そして、試合に出なくても皆のためにグランド整備やボール磨きをしてくれた人がいたから甲子園に繋がったと思うよ」と話すと、お母さんが涙を流されていました。私はお二人が幼稚園にこられたことが嬉しくて、それだけで感動で心が熱くなりました。

 もう一つは父から聞いた話ですが、有工の卒業生で90歳を越えられる方が東京にいらっしゃっていて、有工が甲子園へ行くと聞き、東京から甲子園まで応援に行かれたとのことです。野球部のOBだそうですが、90を越える年齢でこの暑さは堪えるはずです。どうしてもこの目で後輩達の姿をとの思いがおじい様を突き動かしたのでしょう。その心意気に感動したのです。

 一つの嬉しい「行為」は見えないところでも嬉しい行為へ繋がっていくのです。しかし、また、心無い「行為」も繋がってしまうのです。ネット上でいたずらな行為を写真に取り流すと、働いていたコンビ二を閉店させることになり、そのような行為が次々と出てくる。

 人の行為は心が成せる姿であることをしみじみ感じ、考えた事でした。

                                  N・O(文責)

 
  2013.06.14  
 

ランチライムレター 6月号

 
 

 6月に入る前に今年は早くも梅雨入り宣言がなされ、7月のお盆くらいまでは雨が多い日が続くのですね。少々うっとうしい日々になるのですが、日本人はそんな雨にも、降りかたで色々な名前をつけて楽しんできました。私は雨の名前の中でも、「絹雨」という名がとても好きです。絹糸のように細く、静かに降る雨をそう呼ぶのかなと私は解釈するのですが、そのような雨を見ると、空の上では、天女がその絹糸で羽衣を織っているのではないかな、なんて思うのです。

 さて、今回は先日母の誘いで行きました、ある歌手のコンサートで感じた事を書いてみたいと思います。

 母は「布施 明」がとても好きで、音楽先生の岩崎恵子先生と、若い頃より(といっても20代ではありませんが・・・)追っかけのように、コンサートに毎年行っていました。私はもちろん一緒に行くことは一度もありませんでしたよ(笑)。きっと、若いお母さんたちは布施明と聞いても、「だれ??」と思われる方もいらっしゃる事でしょうね。

 彼のヒット曲は、「霧の摩周湖」や「シクラメンのかおり」とかがあるのですが、それも「聴いた事がないな」なんて声も聞こえますが、とりあえずその昔ヒット曲を出した歌謡曲の歌手です(今はJポップかな)。彼の年齢は63歳くらいと思います。もう年齢的には年配者の域ですが、初めて生の歌声を聴いた私は驚きで、思わず背筋が伸びて舞台の方に前のめりになったのです。若い頃より歌唱力や声は高い評価を受けていた歌手ではあったのですが、私が記憶していた歌声にいっそう磨きがかかった感じで、キラキラ輝いているのです。人は年を取っていくと色々な機能が低下し、声もあまりでなくなったり、音域が狭くなったりするのですが、彼の声は私が思うところ、確かに進化しているように感じたのです。

 何よりも圧巻だったのは、イタリアの曲(カンツォーネ)をしかも原語で、まるで本格オペラ歌手のような歌声で歌い上げたときです。彼自身も「今日は布施明のコンサートなのにとお思いでしょう」と話す場面もあった程ですから。歌謡曲の歌手というと、時代の流れの中で受ける歌をうたうものと思い込んでいた私にとって、彼の歌声はその思い込みを払拭するほどのものでした。また、それと同時に彼は人知れず訓練を必死で行っていることを思い知るのです

 コンサートの曲目の中で、「ただ一筋に・・・」という歌詞を聴いたときに、知らないうちに私の頬を涙が流れていました。ただ一筋に歌い続けること、ただ一筋に有田焼を作り続ける、ただ一筋に幼児教育に取り組むこと・・・ただ一筋に自分の与えられた仕事を続ける事がずっと続けられ次に繋いでいくには、進化して行かなければならない事を教えられたのです。進化するためには、続けてきた時間だけ努力をしていかねば繋がらない事を思い知るのです。ベテランだからとか、長年続けてきているからとか言えるのは、進化の形が見えてはじめて口に出せる事なのだと彼の歌を聴きながら思ったのです。

 彼の最後の曲は「マイウェイ」でした。「私には歌があるから。私には愛した歌があるから・・・」と歌う彼の横顔を見ながら、「私には子ども達がいるから。私には愛した子ども達がいるから・・・」、そのようにいえるように努力をしていかねばと、叱咤激励を受けた思いで心が篤くなりました。  (文責)N・O

 
  2013.04.08  
 

ランチライムレター 4月号

 
 

 平成25年度がスタートいたしました。春はいつも何かワクワクした希望と期待で心が明るく華やいできますね。園でも、進級したお友達が急にお兄ちゃんやお姉さんになったようなで、昨日とは違う顔つきをしていて驚きます。昨日とは違う今日があることを子ども達かたら学びますね。


 さて、このランチタイムは、毎月1回、私が見たり、聞いたり、読んだりしたことに、私自身が感じた思いや、感動したコラムなどを皆様に紹介するお便りです。私のつぶやきの様なもので、正しいとか正しくないとかではなく、そんな考え方もあるのかという程度に読んでいただけたら嬉しいです。
 今年度もどうぞ、宜しくお願いいたします。


 今回は園の職員で考えた年間テーマ「繋ぐ」という事から考えてみました。
 3月に、今年度内に認定こども園協会として、事例集を発行する企画を決め、担当者と打ち合わせに、千葉の八千代市にある子ども園に行ったときのことです。東京の日本橋から東西線に乗り換えて行かなければならなかったので、地下鉄を降り、時間があったので日本橋の橋げたを見に行きました。映画の「麒麟の翼」だったかな?その1シーンで見たとてもすごい彫刻なのですが・・・本当に素敵でした。橋の筋向いに1軒の鰹節屋さんが目に入り、なにげなく中に入ってみました。「八木長」という老舗で創業270余年、徳川吉宗将軍の頃から現代まで続くお店でした。私は味噌汁や吸い物のだしは、ほとんど粉末のだしの素を使いますが皆さんはどうですか?お店の中にはもちろん鰹節のほかにも乾物が置いてあるのですが、今はほとんど見ない鰹節削り器がちゃんと置いてありました。(当たり前ですよね)。私の小さい頃は、台所に確かに有りました。たぶん何度か削った経験もあるのですが、今は我が家にはありません。もう数十年削った事がありません。日本人が愛した味覚の中に、世界でも賞賛される『うまみ』があるのを皆さんもご存知ですよね。そのうまみをだす素材の一つとして、古くから鰹節のだし汁を使ってきました。今はパック詰めの削り節があり、いちいち削り器で削る事をしなくなりました。私はなんだか懐かしくなり番頭さんに削り方を聞いてみると、鰹節の頭のほうを手前になるように持ち削るとうまくいく事、鰹の背の部位が雄節で腹が雌節である事。削り器の歯は「かんな」と同じなので、出すときは歯のしりを叩き、引っ込めるときは箱を叩くことなどを教えてもらいました。この年になっても知らない事ばかり、というか、便利になり今は必要なくなったことだからなのか・・・日本人が大切にしてきた食文化を繋ぐことが大事だと思いながら、『うまみ』という言葉を繋ぐことだけで、本質は伝えていない。もちろん現代の科学や技術が進歩して確かに『うまみ』という味は繋がっているかも知れないが、素材の事、そして昔の人々が手間隙かけて作り伝えた道具や工夫のこと、それら全てが『うまみ』であることを伝え繋ぐことこそ必要なのだと、番頭さんのお話を聞きながら思ったのです。


 このことは私達の故郷、有田のやきものにも言えることなのではないでしょうか。
 「クールジャパン」、伝えたい、繋ぎたい、その本質は何なのだろうか・・・


 しかし、まだ、鰹節の削り器は、台所の引き出しの中で出番を待ってます。(N・O)

 
  2013.03.01  
 

ランチライムレター 3月号

 
 

 春は名のみの、風の冷たさよと、歌にあるように、日差しは日に日に春めいていますが、頬に受ける風は、まだ少し冷たく感じます。3月は春の訪れの期待感と同時に、年長のふじ組さんが巣立つという別れの時を思うと、どこか少し寂しさも感じる月です。
 ふじ組さん達にとっては、また一歩大きな社会へと飛び出す大切な時、喜びと不安で張り裂けそうな心を、そっと後押ししてあげたいと思います。ルンビニーで過ごした日々は、きっとこれからの皆にとって大きな力や自信となってくれることを信じて、ずっと見守っていきたいと思っています。ふじ組のみなさん!力強く大きな一歩を踏み出してくださいね!


 さて、今回は何を皆さんに語ろうかと考えていて、このごろふっと思うことを書いてみたいと思います。それは、身近な人を亡くしたという経験を近頃したからかもしれませんが、当たり前だと感じていたり、永遠に続くと漠然と思い、なにも考えていなかったことが、急に不安になったりする感覚をおぼえるのです。
 それは、恐怖で怖いというような物ではなく、何故今まで考えなかったのかという後悔のようなものなのです。私には子どもが一人だけで、夫の兄のところも一人っ子なので、四十九日が終わったときに兄がポツリとつぶやいた一言に「はっ」としました。子どもがたった一人だと、もしものときに苗字を繋いでいくことができないという事でした。苗字という家系を繋いでいくということだけでなく、私が生きていたこと、いえ、私がいた事を思い出す人もなく、語り伝えてくれる人もいなくなる。「子どもがいないと未来がない」と私は保護者の皆様にお話していたのですが、未来だけでなく過去もなくなることだと気づいたのです。

 若いときの私は、働きながら子育てをしていく事が大変だ、生活のために子どもは一人で十分だと考えていたような気がします。でも、今となっては私の過去や未来だけでなく、たった一人で色々なものを背負っていかねばならない子どもにとっても大変な事だと気づき、後悔するのです。
 また、私が生まれた時から父や母がいる事が当たり前で、自分が生まれたことさえも当たり前だと、そんなに深く考えもしなかった事が、・・・当たり前な事ではないことを身近な人を失う事で感じるのです。ふっと気づくと、父の髪は白く、母の顔にもしわが増えています。
この美しい梅の花を、この美しい桜の花を、あと何度父や母と一緒に見る事ができるのだろうかと思うと胸が熱くなります。そして、日ごろ親孝行の真似事すらしていない事に気づかされます。

 人にとって悲しい経験は、人を慈しみ、自分を振り返らせる大切な事でもあるのですね。
だから幸せな経験ばかりでは、人は成長できないのでしょう。辛い経験や悲しい経験が光や影となり、私達に自分を振り返り生きる事を教えてくれるのではないかと、この年になりしみじみと気づかせてもらいました。と、そんな事を思うのです。

 これから一歩を踏み出すふじ組さんにとって、光や影となる様々な経験がきっと皆さんを豊かな心ある人に育んでくれるでしょう!!
                                 N・O(文責)

 
  2013.02.01  
 

ランチライムレター 2月号

 
 

 2013年が始まり、まだ一カ月が過ぎたばかりなのに、私のまわりでは色々なことがあり、色々な思いをいだくことになりました。

 1月号で「伝える」事について触れたのですが、その伝えることをかみしめる思いがありました。1月10日に義理の母が突然他界し、(今もまだ信じられないのです)お葬式を出すことになりました。私の夫の家は浄土宗なので、浄土宗のお葬式なのですが、お経は「阿弥陀経」があがり、私の寺の浄土真宗と同じなんだなと思っていました。故人や兄たちの希望で家族葬儀となり、ごく親しい方々や親族のみの葬儀だったからなのか、会葬の焼香が終わると同時にお経が途中で終わったのです。通夜の晩も、葬儀の時も途中で終わり不思議に思っておりました。私はお経を全部覚えているわけではないのですが、小さいころから耳にしていたので多少はわかるのです。お葬式は故人の死を悼む事と同時に、生きている者に生と死を考えさせてくれる出来事だと思うのです。
 また、日頃宗教と縁のない人々に、お経というものを聴かせる事が出来るひと時でもあると思うのです。宗教とはいかに生きるかを伝える哲学だと私は思うのですが、難しい仏教の哲学を教えるのは、一般の人達には無理なことです。人にとって特別な日に、心にしみるようなお経の旋律が響き、命の儚さを感じる時に宗教というものを人は受け入れていくのではないのでしょうか。

 昨日、亡くなった母の遠い親戚が92歳で他界しました。その方は独身で御兄弟さんとも絶縁状態だったようで、80歳代の時にアパートで倒れてしまい、身元引き受け人を尋ねられ、「王寺」の名前を言われたので、私の夫の兄夫婦が病院に迎えに行き御兄弟に連絡を取ったところ、弟さんが「ほっておいてくれ、二度と電話をしてくれるな」といわれたそうです。見かねた兄夫婦が役所に行き、年金で入れる施設を捜し入所させていたので、当然御遺体を引き取りに来てくれと連絡があったのです。なんとかその方の弟さんの奥さんが来てくださったのですが、小さな霊安室でお葬式も出さないということで私に連絡がありました。私は先に書きましたように心に思うことがあり、私の親戚の寺に事情を話し通夜のお経を頼みました。兄夫婦と私と娘、そして、御兄弟の奥さんのたった5人で御見送りをいたしました。「阿弥陀経」の旋律が流れ、私や娘はあまり知らない方なのですが、ゆらゆらと揺れるろうそくの灯な中に私の小さい頃の1シーンが蘇ってくるのです。それは、本当に小さい頃、毎年12月に私の父の若くして病死した妹の命日に、ゆらゆらと揺れるろうそくの灯の脇に、ケーキが供えてあるのです。「阿弥陀経」が終わると、そのケーキを私たち姉妹はおすそ分けしてもらえるのです。「阿弥陀経」の旋律は幼い私の心には長くも感じていたのですが・・昨日その情景が脳裏に浮かび、祖母や祖父、父や母、幼いころの妹たちの顔が次々の浮かぶのです。

 お経は長さではなく、心にしみるように伝えること。お経の先には仏壇があり、家族や故人のいのちが生きていた証がある。少し長くなりましたが、そんなことを思いました。

                                 O・N(文責)

 
  2013.01.07  
 

ランチライムレター 1月号

 
 

 あけまして おめでとう ございます。今年も宜しくお願いいたします。

 皆様、今年のお正月はいかがお過ごしでしたか?毎年年末から日ごろの不精のせいで、掃除や家事に追われ、やってもやっても終わらない状態に、「お正月だけど、明日はいつもの明日だよねー」と、途中であきらめモードにはいり「まっいいかー」の性格で終わりました。本当に主婦って大変ですよね!

 さて、今年最初のランチタイムは「伝えること、伝わる事」について、年末からお正月に感じたことを書いてみたいと思います。今年もいつもの通勤道路でふと目にした情景から伝えるという事を感じました。私は道端のお地蔵様の赤い前垂れが、新しい年を迎えるたびに新調されているのを見て、どなたが作っているのだろうかと思っていました。きっとお年寄りで信心深い方がなさっていると思っていたところ、偶然にも丁度付け替えている光景を目にしたのです。その方はきっと私とあまり年齢が違わないくらいの女性で、丁寧にお地蔵様の首の後ろで前垂れを結ぶと、正面に回り手を合わせていかれました。きっとご近所の方なのでしょう。お母様が毎年そうしていらっしゃったのでしょう。

「伝える」ということは、先人が丁寧に毎年なさる行為を見て伝わるのではないかなということを思ったのです。

 そして、年が明け毎年恒例の「箱根駅伝大会」のTVを見ていたとき、優勝した日本体育大学の監督さんが、今年度のキャプテンを4年生ではなく3年生の中から選ばれたという話を聞き、体育会系の私は(中学から短大まで軟式テニスです)ありえないと思うのです。年下の者がキャプテンをすることは4年生にとって屈辱だと。やはりその4年生たちは監督に自分達の中から選んで欲しいと嘆願したそうです。しかし、監督は前年の大会の不甲斐なさから、頑として聞き入れなかったそうです。今年の大会までの1年間、4年生にとっても、キャプテンになった3年生にとっても葛藤の日々だった事でしょう。もし、4年生が自分達の力に絶望し、監督の仕打ちにやけを起こしていたら。もし、3年生が萎縮しどうしてなのかと迷ったり、自分の力を驕ったりしていたら。監督は自分が学生に教えてきた事、その学生達が必ず自分の気持ちを分かってくれると信じていたからこそできた事で、その気持ちが伝わったからこその優勝であったのだと私は思いました。

「伝わる」というのは、沢山の言葉ではなく信念をもって行為をなす事、そして、必ず伝わると信じる事なのではないかと思ったのです。

 伝えることも伝わる事も、人の行為と信念の中から生まれることを、なにげない日々の中の沢山の方々から学ばしていただいたと思います。新年を迎え私は何を伝えたいのか、何が伝わるのか、私の信念は・・・もう一度考えなければと思うのです。
                                 O・N(文責)

 
  2012.12.4  
 

ランチライムレター 12月号

 
 

  師走の声を聴いたとたんに、ぐっと寒さも増してきたようで、今朝の霜はきらきら本格的な冬の到来を知らせてくれたようです。

 さて、先日の生活発表会では、保護者の皆様はじめご家族の方々に大勢おいでいただきまして有難うございました。どの子もどの子も、踊る、演奏する、セリフを言うなどの目的をもって、何かにただひたすらに取り組む姿を見せてくれました。私たち大人は、子どもらの邪念のない、ひたすらに取り組む姿に感動を覚えます。まだ生を受けて1年から6年間という短い時間のなかで、けなげで懸命な姿に目頭があつくなります。こんなに可愛い子が、うちの子として生まれてきてくれたことに感謝したい気持ちでいっぱいになるのではないでしょうか。

 「子育てをすること」というのは、この奇跡を感じ、命に感動すること、命に感謝する気持ちを与えてくれる、いとなみではないかと思うのです。私たちは今を生きている、私たちの命は自分自身の思惑で生きているのではなく、奇跡の中で生かされていることに、懸命に生きる子ども達から教えられるのです。

 今年の生活発表会では特に年長組の歌声と演奏に、他の学年の保護者の方々から、「うちの子は出てないけど感動して涙が出ました」という言葉を沢山頂きました。もちろん子どもたちは熱心に練習を重ね、大きな舞台に立つ回数を重ねるごとにとても上手になったこと、今回の「荒城の月」という楽曲の持つ、日本人の心に響くメロディーだったからなのでしょうが、私はそのことと同時に、我が子だけでなく他のお子様の姿や成長を共に喜びあえる気持ちにさせてくれる子どもたちの力に驚きと喜びを感じました。

 生きることに精いっぱいで、まず自分のことを考えようとする風潮がこの日本でも見られることがあります。「正直者は馬鹿を見る」「人の世話をしている場合ではない」ボランティアに頑張っている人に「すきでやってるんでしょう」と冷ややかな目で見ている人達。もしかしたら、すき間風の吹く心を、ほんのりあったかくするのは子ども達なのではないでしょうか。私に子どもにはそんな力があるということを確信した言葉を頂いたように思います。もしかしたら、この地球を、私たちを救うために子どもたちは生まれてくれたのではないかな。太古の昔から子どもたちは大人に何かを伝えるために授かるのではないかな。そんなことを思いながら、可愛い子ども達の遊戯や劇、演奏に目を細める私でした。

 でも、こんな私も、小さい子どもだった頃があったのですよね。
 私もそんな力があったのだろうか・・・
                                 O・N(文責)

 
  2012.11.14  
 

ランチライムレター 11月号

 
 

 昼間と夕方の気温の差が大きく、体調を崩している方が多いのではないでしょうか?
この気温の差が美しい紅葉を生みだすのでしょうね。

 「秋は夕暮れ」と清少納言も枕草子で述べていますが、美しい夕焼けの茜色に染まる空の色が、刻々と変化する様子など言葉にも表わせませんね。まして、濃い藍色に染まる夜空にぽっかりと浮かぶ、青い光の月は格別の趣があります。そんな格別の月を今年のふじ組(年長児)さんが、音楽の調べに変えて表現しています。

 今年の九州音楽教育研究大会は、佐賀県が担当となり、記念講演(辻井さんのお母さん)のほかに研究授業・研究演奏を幼稚園から高校まで行うことになっています。
 その研究演奏を「ルンビニー幼稚園とあかさかルンビニー園」にやってほしいと依頼がありました。それで、11月の美しい秋の月をイメージし、また、私たちが大切にしてきた、「美しいクラシックのメロディーを子ども達に伝えたい」という思いをこめて、滝廉太郎作曲の「荒城の月」になりました。

 勿論、子どもたちは「荒城」といっても、「先生、パン工場?」というほど、イメージできないことなのですが・・・担任の先生達と日本のお城のことなどを話したり、秋をイメージする色を創って描いたりと、音楽の練習だけでなく子ども達と取り組んでいました。しかし、生まれてから5年や6年の子ども達です、日本の「わび」や「さび」について感じることはできないのです。でも、中秋の名月の月やこの間の(10/29)月を眺めてねと伝えると、なんとなく次の日のメロディーが違っているように感じるのは私だけなのでしょうか?

 こんなこともありました。
 22日のリハーサルがとても不甲斐ない出来だったので、私はどうしたものかと思い悩んで、次の日に「何故、皆はこのように音楽の練習をしているのか」を話してみました。いつもの発表会ではないこと、九州中の学校の先生方が来てお勉強されること、佐賀県の沢山の幼稚園・保育園の代表でみんなが演奏をすること等、を伝えました。なによりも伝えたかったのは、いままで沢山のふじ組さん達が培ってきた「ルンビニーの音楽を伝えたい」と言うことでした。その時に初めて子どもたちは、なんの練習をやっていたのか、何を伝えていくのかがわかったようで、みんなの目が真剣になり出しました。その日から子どもたちはとても違ってきたのです。

 子どもだからわからないだろう、子どもだから・・・・と、いつも私たち大人は子どもたちを信じていません。子どもたちの力、感じる力を信じていないのです。でも、今回のふじ組さん達との毎日で感じたことは、大人の勝手な思い込みで子ども達を「○○だ」と決めつけてはいけないこと。私たちの思いを子ども達に心をこめて話す事、わからないから説明を省くのではなく、わかってもらえるように話すこと。
 このことは、子ども達と大人の関係だけでなく、私たち大人同士の関係、もっと言えば、国と国との関係にも言えることだと、子ども達から教わりました。      N・O(文責)

 

 
  2012.10.23  
 

ランチライムレター 10月号

 
 

 田んぼでは稲刈りも終わりつつあり、白いサギが小さな虫を見つけて、長いくちばしを動かしていて、田植えの頃の茶色に染まった顔を思い出します。空も鰯雲や美しい月を宿し、日本人の美意識が一番豊かに感じられる頃ではないでしょうか。

 先日、私はとても嬉しい「ひと言」に出会うことがありました。それは、9月11日のことです。 あの3月11日以来、私達は毎月「心をとばす日」ということで、大日本大震災の日を忘れないようにしようとずっと続けているのです。
 9月もいつもの様にもも組、ゆり組、ふじ組さん達の前で「何故毎月このような集いをし、手を合わせているのでしょう」と話し、8月の終戦日に新聞のコラムに載っていた「誰も訪れることのない墓」の話をしました。終戦後60年以上も経ち、著者の墓地では手入れをされぬまま、ひっそりとたたずむ墓が目につく様になったというのです。石に刻まれた方の年をみると「昭和18年、年齢25歳」とあり、その名のそばには平成○年男性で年齢84歳と…一人息子を戦争で亡くされたのでしょうか、60年以上も経つとご両親も亡くなったり、年老いてしまい、誰も若くして亡くなられた方を想い、手を合わせてくれる人がいなくなられた墓、人は自分が生きて笑っていたこと、歌っていたことを思い出してくれない事こそ淋しいものはないのです。私達は、震災で亡くなった皆と同じ子ども達の事を忘れないようにして欲しい。そして大きくなり11日が来たらどこにいても、そっと手を合わせてほしいと話したのです。
 いつものように、集いが終わった後一人のもも組さんが私のところに来て「先生、今日のお話しじょうずやったよ」といってくれました。私は「上手だった」の言葉の中に「わかったよ、心にとどいたよ」という気持ちが込められていたと思い、又、わずか3歳から4歳という年齢でも心を込めて話せば伝わる事、そしてそのすばらしい「ひと言」を、伝えてくれることに出遭ったのです。


 
  2012.09.11  
 

ランチライムレター 9月号

 
 

  夏休みも終わり2学期を迎えました。皆さんにとって今年の夏はどんな夏だったのでしょうか?私はなんだか「あっ」という間の夏だったような気がいたします。年をとると時間がドンドン過ぎてしまうようで、子どものころは、もっと1日がゆったりと流れていたような気がします。 それは、大人になると「あれもこれも、しなければ」と、仕事に追われていく。心をなくす(忙しいという字はそのように書くのですね)のではないでしょうか。子どものように、一つの事にじっくりと心をこめることができないような気がします。仕事に集中していても、頭の中には次の事次のことと、どこかでその仕事に心がこもっていないのですね。子どもたちは集中して遊んでいる時に別の事を考えていないと思うのですね。でもでも、次のことを考えていないと段取りが取れないし・・・・と言いわけしている自分にまたしても「大人心」が出ちゃいます。
 段取りも大事だけど、たまには子どものように、何も考えずに一つの事にのめりこむ、そんな「心の時」をこの秋には是非持ちたいものだと思うのです。木々が紅葉していく様子を感じ、空が高くなり雲の様子が変化することに気づいたり、空気が透明になって行く様子を感じること、そんなことをふっと思うのですが、皆さんはいかがでしょうか。

 あっそうだ!この夏ひとつありました、何も考えずにやったこと!そうでした、ロンドンオリンピックの応援でした。今思い出しても、感動がよみがえってきますね。やっぱり我を忘れて応援していましたね。次の日の仕事のことも段取りなんか考えてなかったですよね。そうかそうか、楽しいことって集中しいるのですね。そうだとすると、仕事を楽しくやればいいんですよね。なんて自分に言い聞かせ2学期も頑張るぞー!!どうぞ、みなさま宜しく願いいたします。
                              N・O(文責)

 
  2012.07.19  
 

ランチライムレター 7月号

 
 

 毎日雨ばかり続き少々うんざり気味の私たちですが、もう、まもなく梅雨も明けるようですね。この時期、こども達にとっては、湿度や気温の高低が激しいので体調の管理が難しい事と思います、ご家庭でも十分な配慮をお願いいたします。

 さて、先日私はロンドン大学でエドーワード・メルウィッシュ教授の講義を聴きに行きました。皆さんもこの頃、特に「認定こども園」のことを耳にすることが多いとお感じになられているのではないですか?そうです、なぜ消費税のことと「認定こども園」が関係するのでしょう。子育てと経済そして国の将来のこととが深くかかわっていること、さらに働く女性と子育て、「幼児教育」と「ケア」(教育と養護)そのキーワードが「認定こども園」なのです。それで私は、その研究の世界的な教授のいらっしゃるロンドン大学を訪ねたのです。今回はその講義内容を少し皆さまにお伝えしたいと思います。

 教授は乳幼児期が人間にとって最も大切な時期である。とおっしゃったのです。教授は、国の経済と発展には、国民である人間力が大きく影響している。それは教育といってもいいだろう。その教育も特定の人だけでは大きな力とはならない。国民すべての人が教育を受けなければならない。特に生後2歳までの環境が大きく影響する。
 イギリスでは現在でも階級社会のようなものはあり、スラム地域でのこども達の環境がよくないようなのです。そこに幼児教育と養護の役割を持つ「チルドレン・センター」を開き、乳幼児に幼稚園と保育所を併せ持つような施設を作り適切な「遊び」と「学び」、そして「食」の環境を用意したのです。さらに、そこでは親の教育も一緒に行うプログラムがあり、こども達が沢山の人の中で育つ環境にも配慮されていました。

 その成果をデーターとして見せていただくと、センターを作り配備する費用と、今までのスラムの子ども達が成人してその矯正に使うお金とを比べた場合、はるかにセンターを作る方が費用の負担も少ないようです。そればかりか、その子達が就職してしっかりと税金を国に払うという意味でも大きな国力となるというのでした。

 私は、冒頭の言葉に2歳までで決まる!!には、少々驚きましたが、教授のデーターからもわかるように、すべての子どもたちが、質のよい環境で教育を受けることが国を作る源であるといえるのではないでしょうか。
 世界中で今乳幼児の教育と養護について注目されていることを私たちは喜んでいます。いつも、大人中心で政治や社会が動いていたのですが、やっと、子どもを中心にして未来を考える人たちがでてきたこと、どの子も平等に愛され育まれなければならないことをこの認定こども園が担えることを実践していかねばならないと思います。
                                N・O(文責)

 
  2012.06.26  
 

ランチライムレター 6月号

 
 

 さわやかな風が心地よく木々の青葉を揺らして生きます。一年中で一番素敵な日々を自然は私達にプレゼントいてくれています。さあ、今日は何の話をいたしましょうか。

 このごろの私のマイブーム、それは、毎朝の新聞の片隅に載る小説を読むことです。今までというか、これまでほとんど読んだ事のなかったスペースだったのですが、小さな動物達が捕らえられた犬をを助けに行くという話なのですが、なにげなく読んでいると、ついはまって、次の朝はどんな展開になるのか楽しみになってしまったのです。
 4月6日、その日の作者の一説に心が篤くなりました。「憐れみ(あわれみ)」について書かれていました。

 

 「憐れみ」とは、もっとも「高貴」な感情のひとつだろう。もちろん美しい感情、豊かなすばらしい感情なら、他にも沢山ある。-しかし、弱い者や小さな者を、何の打算もなく、驕(おご)り高ぶった優越感もなく、ただひたすら気遣い、いとおしみ、彼らに同情し共感するというこの「憐憫(れんびん)」という感情には、かけがえのない気高さがある。それは、生のままの「自然」からは独立した、醇乎(じゅんこ)たる精神的価値を持つ感情だからだろう。人はだんだん「憐憫」の意味に目覚めてゆく。ところが、大人になっても「憐憫」を知らず、そのまま生涯を終える人々が、意外に沢山いるものだ。

 

 自分の利害、自分の快楽しか眼中になく、自分自身を「憐れむ」ことだけに汲々している連中が、大手を振って歩いている。「憐憫」の反対語は、優越感とエゴイズムだろう。
私は本能とか、自然に湧き出る感情がとても大切な事と思っていたが、精神的価値を持つ感情は、もっと気高いものであるという一説に「はっ」とした。もしかしたら、人は本能的に打算や自分の都合のいいように解釈することがあるのが常で、その心を精神的にコントロールすることで湧き出る感情・・「憐憫」・・仏教で言う「煩悩」を意識し自分を考えず、ただひたすら「憐れむ」。
ちょっと難しいけど、心に深くとめておこうと私は思いました。                                 N・O(文責)

 
  2012.05.16  
 

ランチライムレター 5月号

 
 

 清々しい青葉をわたる風が、すべての命を讃歌しているように聞こえてまいります。1年中で最もさわやかで気持ちの良い5月を迎えました。有田は年に一度の陶器市が催され、沢山の人々でにぎわいを見せています。
 窯業に携わる皆さま方はお疲れさまでしたね。子どもたちもお手伝いをしたよと、自慢げな様子でした。このランチタイムは、私(王寺)が日々心に浮かぶ思いを気ままにお知らせするもので、人様々なお考えがあるかと思いますので、ああそんな考え方もあるのか、ああそんな思いをしているのかなど、気軽に読んでいただければと思います。また、ご意見や感想などがありましたら、是非、お聞かせいただければ嬉しいです。

 さて、本日は・・・2月に教育講演会として長崎県立美術館の“米田館長”に来ていただいたことを覚えていらっしゃいますか?その米田館長から「ジュディオング・版画展」の招待状が届きましたので、先週の日曜日に行ってまいりました。彼女は歌手であると同時に優れた芸術家(版画)で、とても素晴らしい作品を次々に発表されていました。日展にも多数入選し特選も取られたようです。
 美術館に行って米田館長にお礼を言おうと思い訪ねたら、お忙しいのに作品の見方を直々に説明していただきました。「この提灯の赤がしだれ桜をより鮮やかにしている」などとても素敵でした。鑑賞の話に交えて美術の話をしてくださるのです。そのなかでも心に残ったのは、「もののあわれ」という日本人特有の感じ方を、私たちはいつ身につけるのかという話です。それは、お母さんと子どもの関係にあると言われました。赤ちゃんの時子どもはお母さんに抱かれ、お母さんと向き合うことが多いのですが、歩き始めると手をつなぎ並列になりお母さんと見ているものが同じになる。そして、「雪うさぎ」「シャボン玉」を作って遊ぶときに、雪うさぎが日の光の中で溶けてします様子や、シャボン玉ができてはすぐに消えてしまう様子をみながら、お母さんが心で思ったり呟く様子を子どもは感じながら「もののあわれ」を感じ取るのだそうです。

 前にも言ったかもしれませんが、今年度の入園説明会の日に私はとっても嬉しいことがあったのです。それは、以前担任をしていた男の子(今は素敵なお父さんです)、もう30年くらい前になるのですが・・・・その子が小さな子どもさんを連れてきてくれていたのです。私ははじめ気付かなかったのですが、彼が「先生覚えとる?」と声をかけてくれました。私は彼の優しい少し細い目に懐かしい思い出を見ていました。とても優しい子で絵本を読んでいるときに意地悪なものが主人公をいじめに来ると「だめー!!」と声をだしてとめていたあの優しい子。彼が「先生の教育の思いは、一貫してるね。ぼくが通っている時と同じだね」と言われました。たぶん彼が通っているころの年齢は5歳6歳なのですが、大人になって私の話を聞き、大人の言葉で言うとこういうことだったんだなと思ってくれたのでしょう。小さいときの思い出が、大人になって意味を理解できる。そして、また我が子を入園させてくれたのです。教え子から評価を頂けるなんて、その幸せに涙がこぼれました。彼は「先生がお母さんの絵をすごく褒めてくれたことが嬉しかったよ」と言ってくれました。「もののあわれ」をお母さんと一緒に感じることと同じように、幼児教育や子育ての思いを園の先生から感じる
のだと思うとしっかりしなければと思うのです。          N・O(文責)

 
  2012.04.07  
 

ランチライムレター 4月号

 
 

 春がやっときてくれました。そして、新しいお友達も一緒にやってきてくれました。さぁ~平成24年度が始まりました。
 今年度もみんなでワクワク、ドキドキの毎日が過ごせるように頑張ります。子ども達はいつも私達に大きな感動の毎日を贈ってくれます。しかし、私たちはその子ども達になにか感動を与えることができるのだろうか、子ども達一人ひとりの心に響く言葉を、歌を、絵本を・・・届けられるように一人一人に向き合って頑張りたいと心新たにいたしました。


 
さて、この美しい華やかな春の日に、悲しいお知らせを皆さんにお伝えしなければなりません。私にとっては保育者の大先輩であり、母の大親友でもあられた、高木瀬幼稚園元園長の石井アユ先生が4月2日に膵臓ガンでお亡くなりになりました。アユ先生は本園にもまた、あかさかルンビニーにもお話しに何度もおいでいただき、幼児教育や子育てについて、いつも優しいまなざしと、温かい口調で語りかけてくださいました。先生は佐賀県の幼児教育の第一人者で私たち後輩の指導をいつもしてくださるばかりでなく、絵本の大切さを多くの人達と読み聞かせの会などを通じて広めてこられました。特に私は若いころから大きな研修会の発表や授業をさせていただき、今日の基礎を育んでくださいました。公私ともに大変お世話になった先生です。

 
今年の桜はなかなか咲かないと思っていたら、4月になると一斉に咲き始めました。桜の咲くのを待っていらしたように、町中が桜色に染まる中、静かにお浄土に旅立たれた先生のさい壇の飾りは、ト音記号や音符が花で飾られていました。通夜もお葬式も長い長い焼香の参列で、小学生や中学生、高校生や大学生、保護者のみなさんなど、先生が大切になさった人々でいっぱいでした。出棺の際にお花で飾る時には、御家族だけでなく大人も子どもも、花々を手に手に集まってきました。小さなこどもがお棺の周りから離れず、ずっと寄り添っているのを目の当たりにし、「先生、白雪姫の絵本のようですね」と思いました。きっと今も蓮の花の咲く池のほとりで、沢山の子ども達に囲まれ絵本を読んでいらっしゃるのでしょう。

 最後にお会いしたのは、2月に危篤という知らせを受け、次の日に病院に行ったときです。
先生はベットに座り静かに私たちを迎えてくださいました。(娘さんの話では昨晩は意識がないようすであったとのことでした。)いつものようにたわいない話をして帰ろうとしたとき、私は言葉が出てこなくて、ただただ涙があふれてきてどうにも止まらないのです。これが今生のお別れではないかと感じるものがあり、先生も何もおっしゃらずにベットに横たわられました。母が私の傍らから先生に「幼児教育は直子がしっかりしてくれんばと言ってください」と言ったとき、先生は私の手をギュッと握りしめ、今まで見たこともない鋭いまなざしで私を見つめ何もおっしゃらなかったのです。でも、私は先生の鋭く差すような瞳の奥に、私に「その覚悟があるのか、」「おまえはやれるのか、」と問われているようで、また、覚悟を以て貫け
といつもの目がなくなるような頬笑みではなく、厳しい表情で私に教えていただいたように思いました。

 先生から頂いた鋭く厳しいまなざしを、いつも心に映しながら自分自身に問い続けていこうと思います。「おまえはやれるのか、おまえは貫く覚悟があるのか」

N・O

 
  2012.03.13  
 

ランチライムレター 3月号

 
 

 昨日3月11日は東北大震災の1周年に当たる日でした。皆さんはどのような想いで、またどのように1日を過ごされたのでしょう。
 午後2時46分、私はテレビの法要中継の黙祷の合図に東の方に手を合わせ、目を閉じて色々な事を思っていました。あの日のテレビ画面を驚きと恐怖の気持ちで見入っていたこと、福島の園長先生から携帯で新幹線に閉じ込められて情報が分からないので知らせて欲しいと連絡があった事、教え子のお父様が津波に飲み込まれ亡くなりお葬式に行ったこと、6月に福島に行き沢山の方々の話を聞き、マッチ箱のように立ち並んだ仮設住宅に心が痛み、何もできなく帰ってきてしばらく食事が喉を通らなかったこと・・・・そして、私の住む伊万里は原発から20k圏内にありもし事故があったら私も福島の方々と同じようになる事。でも、今日もエアコンをつけテレビをつけレンジを使っている私。東北の瓦礫の山を見ては、早く撤去して復興をと思いながら、多くの他の県の人たちが自分の所に来ては困ると反対運動をしているのを見て「なにが絆なのよ、口では頑張ってくださいね応援しています」といいながらと腹を立てている。でも、私の住む近くに受け入れるのに賛成できるかというと・・・本当に優しさってなんだろう、「絆」ってなんだろう、そんな思いが心の中を1日中ぐるぐると駆け巡っていました。結局、私は何もできない。ただ手を合わせ黙祷をするだけだった。


 寺山修二氏が「時計の針が前に進めば時間となり、後に進めば思い出となる」と詩の中で詠んでいらっしゃると聞きました。そうです、3月はふじ組さんが園を巣立つ大切な月です。このランチタイムの思い出が、私の苦悩で終わらせてはいけませんね。先週「金子みすゞさん」の故郷仙崎で、宇宙物理学者佐治晴男先生のお話を聞きにいきました。

『心はどこからきたのか。それは、記憶という働きから生まれた。記憶とは過去と現在と未来を理解する事。未来を予測する能力は記憶があったから生まれた。人間と動物の違いは、辛いことを動物は逃げる、しかし、人間は幸せに変えることができる。明日を元気に希望を持って生きる。これまでがどんな人生であっても、これからの生き方で、これまでの意味が決まる。 これまでというのは、これからで決まる。』と話されました。


 そうです。明日を予想するのは記憶(思い出)があるから、その思い出の意味はこれからで(明日の生き方)決まると言われるのですから、どんなにつらい事があっても人は幸せに変えることができる、これからの生き方でと思うと、明日を生きる希望が持てますね。まだまだ幼いふじ組さんには少し難しい話となりましたが、お父さん、お母さん、そして私にとっては・・・・ 昨日の追悼法要で遺族代表の言葉の中でも、「息子が私達に生る意味を残してく れました。生きる希望の孫が7月に生まれました。」心にしみました。

                                     N・O

 
   
  2012.01.18  
 

ランチライムレター 1月号

 
 

 あけましておめでとうございます。平成24年がスタートいたしましたね。
 さて、皆様方のお正月はいかがでしたか?私は日ごろのお掃除の怠慢さがでて、新年迎えるまでバタバタとお掃除に追われていました。主婦のお仕事は終わりのないもので、ここが済めばまたあちらといった具合でしたね。しかし、完璧にはならないもので、多少目をつぶることも大切だと自分自身に言ってまして・・・いいわけですね。

 平成23年は日本の国にとってとても大変な年でした。東北の大震災では多くの方がすべてを失ってしまうことになり、また、文明の利器であった原子力発電の事故では、目に見えない恐怖との戦いや、故郷をなくしてしまう人もあり、その無念さと失望は計り知れないものがあることと思います。
 そのような中でも、私たち日本人は忘れかけていた「人とのつながり」「絆」を蘇らせることができたように感じています。今年は故郷に帰る人が多かったとも聞こえていました。

私は、ちょうど30日の日に通勤道路であります国道202号線を車で走っていました。いつものように二里のバス停の信号が赤に変わり止まっていた時の事です。1台前のタクシーから若い男女のカップルが降りて道端の家の前に立ち呼び鈴を押していました。両手には沢山の荷物を持ちベルを押し戸を開けようとするのですが、玄関は閉まっているようでした。すると、若い男の人がくるりとこちらの方を見て、家の縁側の方へ向かったのです。その時の男の人の顔が私の脳裏に鮮やかに焼きついたのです。とてもうれしそうに、素晴らしい笑顔で輝いていたのです。信号で止まっている一瞬の出来事だったのですが、私は心が熱くなり涙が知らない間に流れていました。沢山のお土産と、きっと彼女を連れてきて両親に会わせるのかな・・・・
 その笑顔が眩しくて、家族とはこういうものだと思ったのです。たわいもない一瞬に本当の幸せがあることを、彼の笑顔が教えてくれたように感じました。寒い東北で、いえ、日本中の故郷で、きっと今年はこの笑顔に勇気と元気と温かい想いを感じた方が大勢いたことでしょう。

 今年も、「すべての子ども達の幸せ」のために、私たちは子ども達の傍に寄り添い、その輝く笑顔で、この国を、この町を、この地域を、そして、ご家庭を明るくできるように取り組みたいと思います。

          本年もどうぞ、よろしくお願いいたします 

(文責) N・O

 
  2011.11.14  
 

ランチライムレター 11月号

 
 

とても気持ちの良い日が続いております。
空には筋雲や鰯雲がさわやかに広がっています。この好季節に子ども達の成長もグングン見えてきているようですよ。


さて、先日「あかさかルンビニー園」に、世界的な日本画家の「千住 博」さんがおいでくださいました。有田での講演の前に立ち寄られたのです。と、いうのも先生は坂本龍一氏や多くのアーティストと一緒に震災で大打撃を受けた「女川町」の復興を支援されていて、 子どものためのアトリエを建設される予定だそうです。その、子どものための施設視察という目的でいらっしゃいました。先生は部屋中に無造作に飾っている子ども達の作品を見て「いいね、いいね」と見てくださり、「もっとやってくださいよ」と、部屋中が子どもの作品や遊びの痕跡で埋め尽くされるようにといわれました。この建物のコンセプトを説明している私の話を丁寧にきいてくださり、(きっと、そんなことわかっていらしたと思うのですが)大作家でありながら、謙虚に耳を傾けられるその姿に、一流という方の人間性を感じさせられました。15分か20分ほどの視察時間でしたが、「楽しくなってきたので、僕も描きたくなったね」と、白板に子どものマーカーを取り出し、さらさらと絵を描かれました。その、白板をどうしよー(サイン入りなので)と思っております・・・・


さて、先生の講演で心に残ったお話を今回はご紹介いたしたいと思います。
≪工芸について≫
75000年前の地層からビーズ(木の実など)の首飾りが発掘された。そのことから工芸とは自然と一体化することにより、恐怖心や不安を払うために生まれたと考えられる。
工芸は人類の誕生よりはるかに早く生まれている。だから工芸は、自然を慈しみ、自然に敬意をはらい風土に寄り添う文化である。

≪美とは何か≫
美という字は、羊と大と書く、(3300年前中国では羊を沢山持つことが豊かであるとされていた)、美とは豊さである。豊かさとは、生きる喜び、生きていてよかった、生きるって素晴らしいという、生きることの感性に他ならない。しかし、生きることは、楽しいことばかりではなく、悲しいこと、辛いこと、苦しいことと、いろいろな事が混沌としている。 その混沌としているすべてを肯定しながら生きる姿が美ではないか。

≪和風とは≫
和風とは、まったく異なる文化が重なってハーモニーを奏でることである。日本の文化は、お葬式はお寺で、クリスマスはケーキを食べ、お正月は神社に詣でる。そのように、外国の宗教を受け入れながらうまく協調して新たなものになってきた。なんとかうまくやっていこうとする協調性や寛容性が和風ではないか。私は「和風」とは純粋な日本文化のことを言うのかと思っていたら、日本が日本文化をつくりにあたり、さまざまな国の文化を取り入れながら作ってきたように、寛容の心というのか・・・そういう意味の言葉として捉えられていることに新たな視点を感じました。聖徳太子が「和を以て貴しとなす」と
いわれたことなのでしょう。

また、千住先生に園舎をご案内していたときに2階のギャラリーからホールをご覧になり、「うずまきですね」と呟かれました。そのことを講演会では、縄文時代の土器の事についてこう言われたのです。「縄文時代の土器は縄目模様といわれるのですが、何故、縄目模様なのでしょう。縄をぐるぐる重ねていくと渦巻になるのですが、その渦巻は意味があるといわれるのです。「台風も渦巻」「水も渦を巻きながら流れていく」、そうです、渦巻にはパワーがあるのです。縄文の時代の人達は食べ物の腐敗を防ごうと縄目模様の器を作ったのではないでしょうか」と。・・・ということは、園のホールの床の模様は子ども達にパワーを与えるデザインが入っているということですね。ホールのお釈迦様の仏像の前でも、「この光は仏教の色を表していますね。ネパールでは仏旗が風になびくだけでお経が聞こえると同じだというのです。この仏像の前に立つ子どもたちは、光の中でお経を浴びているのですね」と言われました。子ども達の作品の前でも、特にギャラリーに飾っていた「土粘土」の0歳から6歳までの作品の前で、「これがいいですねー」といわれるのです。私が 「同じ素材で0から6歳までの子どもたちが、年齢の違いからどのような物を作ってくれるのだろうかと見たくてやってみました」「土粘土で遊ぶときに、年長児は40分以上も静かに遊びにひたっているのです」との言葉に、「そうでしょう、そうでしょう」と何度も嬉しそうに頷かれるのです。先に述べられた工芸の、「人間は自然と一体化するときに安定する」という事と重なっていたのですね。千住先生がおっしゃって頂いた言葉の意味を私は、 私たちが考えている「幼児教育の柱」としての造形教育や音楽教育が、「豊かに生きる」すなわち、「人間を人間たらしめる」、人間の根っこを作る教育であると確信したのです。

                                (文責) N・O

 
  2011.09.20  
 

ランチライムレター 9月号

 
 

 今年の夏は節電の夏ということで、本来の夏の気温を体感された方も多かったのではないでしょうか。
 さて、皆さま方や子どもさん達にとってどのような夏であったのでしょう。 8月11日、あかさかルンビニーでは毎月の東北地方大震災で失われた、多くの「いのち」に心を寄せ、今まだ復興へ ご尽力していらっしゃる多くの人々へ応援の心を飛ばす日の仏参を行いました。11日はこの一年間ずっと「いのち」と いうものを、子どもたちと考えてみる日となるのですが、ふと先日ある書物を読んでいて目にとまった事柄がありましたので、今回ランチタイムでご紹介し、皆様方と共に考えてみたいと思います。
 龍谷大学の田畑先生のお書きになったものです。


 今、日本の小学校、中学校、高校と「心の教育」の重要性が叫ばれていますが、その「心の教育」の中でも「いのち」 について子どもたちと、どのように向き合い、どのように伝えていけばよいのかを諸先生方や教育関係者は思いめぐらせていらっしゃいます。
 現代社会において医学の進歩は著しく臓器移植も以前より頻繁に行われている国々が増えております。勿論、日本も そうなのですが・・・臓器移植については賛否両論あるのですが、米国での臓器移植のキャッチフレーズについての観点から「いのち」について述べられました。米国では最初「いのちの贈り物」というキャッチが近年では「いのちのリサイクル」となっていることに、「いのち」が物や部品のように表現されているのが今の風潮ではないのかという嘆きとしてのご意見でした。私も臓器移植に対しては深く考えさせられる点があるのですが、自分の「いのち」は自分のものであり、 どのようにしようが自分の意思で決められるのだ、と、多くの人は思っていると思います。田畑氏は、「見えるいのちを見えないいのち(寿命)が支えている」ことに気づかねばならないと説かれるのです。1本のライ麦は16200メートルもの根っこが支えている(小さな髭のような根をつなげると)ことや、人間の心臓は1日平均8tもの血液を循環し続けていることに例えて、「いのち」は自分自身の思惑で支えているのではなく、寿命といういのちが支えているのではないかと・・・。

「いのち」の大切さは多くの人が知っているのですが「自分のもの」としての考えでは、「いのち」はものになってしまうことの意味を深く考えさせられました。

                                N・O (文責)

 
       
  2011.09.14
 
 

oji先生のひとりごと

 
   新しくHPをしたのに、なかなか準備が整わずにすみませんでした。今月から子どもさん達の様子などもアップできると思います。本当にお待たせしました!!

 また、新しくojiの「ひとりごと」のコーナーもできました。以前の「ランチタイム」で色々なことをつぶやいていたのを少し見やすいようにしてみました。ojiが感じたことや思ったことを自由に発信しておりますのでよろしくお願い致します。
 
     


  2011.07.16
 
 

ランチライムレター 7月号

 
   

 爽やかな雨上がりの緑が、いっそう目映いばかりに輝いて、夏の風を運んで来てくれそうです。

夏の風と共にルンビニーの「うんどうかい」が終わりました。子ども達もかけっこや遊戯に柔らかな髪の毛が汗でびっしょりになるほど頑張っていました。また、皆さんには熱心に応援してくださりありがとうございました。
応援とともに一緒に楽しんでくださって会場いっぱいに笑顔の花が咲いていましたね。

 さて、ルンビニーでは先の大震災の3月11日を子ども達とともに、自分たちなりに受け止めようと色々な活動の中で取り上げて
います。
今回の「うんどうかい」のテーマも「絆」ということで、年長のふじ組さんはレク競技を「がんばろう日本!」として、子ども達と震災の話をしていてでてきた、「お家を建ててあげたい」「町をもとにもどしてあげたい」という思いを形にしてみました。

 みんなで作ったダンボールの瓦礫を、友達と力を合わせてお家が出来るように組み立てていくといった内容です。運動会としての
競争の種目ではないのですが、子ども達の声を様々な活動の中に取り切れていくことが大切ではないかと思っています。

 また、毎月11日に「東北に心をとばす」ということで、仏様の前に灯明をかざし手を合わせ、多くの被災地の方々と犠牲になられた沢山の尊い命に心を寄り添わせることを行っています。これも子ども達との話の中で、家や町を再生するためのお金も力も私たちにはない、でも、出来ることはきっとある。それが、いつも心に相手を思うこと、いつも心を寄り添うこととして取り組みことに
いたしました。

 このように、子ども達は子ども達なりに受け止めて、考えているのです。私たちはその思いにはっとさせられ、純粋無垢な心に
共に寄り添える幸せを感じています。そして、今後の防災に取り組む私たちの計画もしっかり見直して行かなければならないと思いました。毎月行っていた避難訓練は、いつも園だけの活動で、もっと地域との連携を取ること。また、子ども達を震災などの時に親元にどのようにやって帰すのかなど、取り組まなければならない課題がいっぱい見えてきました。

 心をとばすことは、他の人や他の地域にだけではなく、自分の心と自分たちの町にでもあらねばならないのですね。


 まだまだ復興は進まないけど、いつか再生される日を信じて、みなさんで頑張りましょう!!  

そんなことをおもいました。

 
     


  2011.06.01
 
  ホームページリニューアルについて  
   今回のホームページリニューアルについて、以前からご要望ございました”ホームページをもっと便利に”のお声にこたえまして、新しく作り変える運びとなりました。
つきましては、今回の新ホームページに関しましてご意見などございましたら当スタッフまでお気軽にお申し付けください。

 
     




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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